「誠意をみせろ!誠意を!!」 男性は、私に向かって大声をあげた。 ことの発端はこう・・・ とあるアパートの一室で、高齢の住人男性がひっそりと孤独死。 放置された日数は少なくはなかったが、冬の寒冷の中で腐敗速度は低速。 遺体は、膨張溶解ではなく乾燥収縮。 異臭は発生してはいたものの、それは「腐乱死体臭」というより、高齢者宅にありがちの“尿臭”にちかいもの。 私からすれば“ライト級”・・・いや、“ストロー級”、ホッとできるくらいの現場だった。 故人の部屋は独立した角部屋。 アパートの構造上、隣室との間には、共用階段が挟まれていた。 つまり、壁一枚で隔てられた隣室はないということ。 しかも、室内の異臭は軽度で外部漏洩はなく、近隣に迷惑がかかっているというようなことはなし。 それは、不動産管理会社の担当者も現場に来て確認していた。 私は、調査からほどなくして作業に着手。 軽症の現場とはいえ、油断せず、近隣に対する配慮も怠らず、いつものように自分のセオリー通り組み立てた手順で作業を進めた。 遺体汚染は素人目にはわからないくらいのもので、尿臭も素人でも我慢できるくらいのもの。 床の残った体液は最初の30分で、室内にこもった尿臭も数日のうちに収束。 何も言われなければ、そこで人が亡くなったことはおろか、まだ、そこで人が生活していると言ってもいいくらいの部屋に戻った。 「隣の部屋の人が“クサい!”って言ってるんですけど・・・」 作業も終盤にさしかかった頃のある日の夕方、管理会社の担当者から電話が入った。 何日も前に特掃は終わらせ、消臭消毒作業も山場を越えて仕上げ段階にきてのこと。 「何かの間違いじゃないですか?」 まったく心当たりのない私は、首をかしげた。 現場を知っている担当者も、どうにも解せない様子だった。 しかし、臭覚は、個人的・主観的な感覚。 臭気の感じ方に、個人差があっても不自然ではない。 また、腐乱死体臭の場合、一度嗅いでしまうと精神にニオイがついてしまい、「鼻について離れない」と言われることも多い。 結局、「電話じゃラチが明かない」ということで、私は、急遽、現場へ出向くことに。 一日の仕事を終え帰り支度も終わった段階、暗くなってからの出動はとても面倒臭くはあったけど、付き合いの長い担当者は、いつも私の仕事ぶりを評価してくれ、何かとよくしてくれていた。 その恩義もあったので、私は、さっさと支度を整えて現場へ急行した。 現地に着いた頃、陽はとっくに暮れ、冷え冷えとした空気が暗がりを覆っていた。 まず、私は、現場の部屋の前へ。 周辺の空気を慎重に嗅いだが、当初から変わらず特に異臭は感じず。 ただ、常日頃から凄惨現場で苛めぬかれている鼻が、腐乱死体臭を“異臭”として感知しない可能性もある(そんなはずないけど)。 ミスがあってはいけないので、私は、念には念を入れて、外気と部屋の前の臭気を交互に嗅いだ。 結果、異臭を感知しなかった私は、「異臭なし」と判断。 「何かの勘違いだろう・・・」と、苦情を言ってきている隣室のドアをノック。 すると、中から初老の男性がでてきた。 「アンタが掃除の業者?」 初対面なのに、不愉快なタメ口。 「そうです・・・」 礼をわきまえない人間は嫌いなのだが、私は、敬語対応。 「クサくて部屋にいられないよぉ!どおしてくれんの?」 完全に上から目線で、何かをたかるような ねちっこい口調。 「特に変なニオイはしませんけど・・・」 まったく異臭を感じない私は、感じたことを率直に返答。 「何いってんだよ!こんだけ人に迷惑をかけといて、“臭わない”はねぇだろ!」 男性は不快感を露わに。 「この仕事、恥ずかしいくらい長くやってますから、ここに遺体のニオイがないことくらいわかりますよ」 こういうときに熱くなるのは禁物、私は冷静さを保つよう努めた。 「俺が“クサい!”って言ってんだからクサいんだよ!」 男性は、どこかの政治家みたいに論点をすり替えて、テンションを上げた。 「私が“クサくない!”って言ってるんだからクサくないんですよ!」 内心で苛立ちはじめていた私は、ギアを戦闘モードに切り換える準備をしながら男性の揚げ足をとった。 そんな平行線のやりとりを繰り返しているうちに、男性の怒りは頂点に。 「バカ野郎!」「掃除屋のクセに!」等と語気を強め、人差し指を頬にあてて「こっちの知り合いもいるんだからな!」と、化石級の脅し文句で威嚇してきた。 そして、そんなやりとりの中で、「誠意をみせろ!誠意を!!」と、大声をあげたのだった。 良識をもって作業を行うことはもちろん、近隣や他人に社会通念を逸するような迷惑をかけてはいけない。 しかし、根拠のない苦情や理不尽な行為は 到底 容認できるものではない。 そのうえ、私は、臆病者のくせに気は短い。 争いごとは好まないくせに、勝算のある揉め事は嫌わない。 また、弱虫のくせに口は達者で、屁理屈をこねるのも不得意ではない(“口が減らないヤツ”と褒めて?くれる人も多い)。 「金がとれる」等と、どこかの愚か者に入れ知恵でもされたのだろう・・・話の中で男性の魂胆が見えた私は“ニヤリ”。 「ちょっと不動産会社の担当者と相談しますから・・・」 と、男性の要求を検討する素振りをみせながら、一方、頭の中では形勢逆転を画策しながら、一旦、戦線を離脱した。 私は、ことの経緯を担当者へ報告。 どんな人間であれ不動産会社にとって入居者は客であるから、不愉快な気持ちを抑えて丁寧に対応してきた担当者だったが、事の真相が“金銭目的のゆすり”であろうことがわかると声色が変わった。 怒りを滲ませ、「何を言われても無視していい」とのこと。 更に、「反論していいですか?」の問いに、 「言いたいことがあるなら言い返してもいいですよ!」 「ただ、挑発にのって手を出したりしないように!」 「あと、念のため録音に気をつけて下さい」 と、男性に応戦することを認めてくれた。 本件の責任者である担当者の許可を得た私は、意気揚々かつ虎視眈眈と戦線に復帰。 再び男性と対峙し、先に口火を切った。 「ところで、“誠意”って何ですか? 具体的に言ってもらわないとわからないんですけど!」 「“誠意”ったら“誠意”だよ! ガキじゃないんだからそんなのすぐわかるだろ!」 「そう言われてもねぇ・・・」 「自分の頭で考えろ!」 「私、頭が悪いものでわからないんですよぉ・・・具体的に教えてくださいよ!」 「バカか!?オマエは!」 「そうなんでしょうねぇ~・・・全然わからないなぁ~・・・」 「ホント!頭にくるヤツだ!!」 男性が金銭を要求しているのは明らかだったので、私は、男性の口から「金」という一言を引き出そうとした。 しかし、自ら「金をよこせ」なんていうと詐欺・恐喝などの犯罪になりかねない。 あと、感情にまかせて暴力をふるっても同様。 男性はそこまでバカじゃなかったのではなく、同じようなことをやらかして懲らしめられた過去があったのだろう、その一言は口にしなかった。 また、拳をあげる素振りで威嚇してきたものの実際に殴りかかってくることもなかった。 男性はフルパワーで脅しているつもりだったのだろうけど、一方の私は、恐いどころか痛くも痒くもなし。 余裕の薄ら笑いを浮かべながら、“のらりくらり”と“おとぼけ”に徹した。 しかし、終わりの見えない口論は時間の無駄。 押し問答に飽きてきた私は、男性の弾が尽きそうな頃合いを見計らって、攻勢に転じた。 「○○(故人)さんが亡くなって発見されないでいる間はクサくなかったんですか!?」 「悪臭があったとしたら最初からのはずなのに、なんで、今頃になって言ってくるんですか!?」 「“クサい!クサい!”って、そもそも遺体のニオイを知ってるんですか!?」 「もともと△△(男性)さんちがクサいんじゃないですか!? その証拠に、アパートの他の人は誰も何も言ってきてないじゃないですか!」 「何をせしめたいのか、ハッキリ言ったらどうですか!?」 と、嫌味弾をたっぷり込めたマシンガンをブチかました。 更に、腹いせついでに、 「△△さんは、この先ずっと死なないんですか? その歳で、この先○○さんみたいにならない確証はあるんですか?」 「そもそも私が出したニオイじゃないんだから、私が文句を言われる筋合いはないですよ!」 「“一人きりで亡くなった○○さんが悪い”とでも言いたいのなら、どうぞ当人に言って下さい! 近くで、こっちを見てるかもしれませんから!」 「ただし、その後、何が起こっても私は知りませんけどね!!」 と、グーの手に立てた親指で故人の部屋をクイクイと指しながら、私は、意味のないことを ことさら意味ありげに言い放った。 「・・・そ、そんなの俺の知ったことか!」 男性は、まともに反論できず“蜂の巣”に。 子供のようにそう言い捨てると、スゴスゴと自室に退却。 まだ弾が残っていた私が“話はまだ終わってない!”とばかりにドアをノックしても反応せず、天敵を前にしたカタツムリのように、そのまま部屋に閉じこもってしまった。 そして、これに懲りたのだろう、その後も、私が故人の部屋に作業に入っても自室から出てくることはなかった。 そんなある日、私が隣室に立ち入る物音をききつけた男性が、久しぶりに自室から出てきた。 「新たなネタを仕入れたか? 今度はどんな因縁をつけてくる気だ?」と私は警戒。 しかし、何だか、それまでとは様子が違う。 前回同様に私を睨みつけてくるのかと思ったら、予想に反し、どことなく気マズそうな顔に不気味な愛想笑いを浮かべて近寄ってきた。 「ご苦労様・・・この前は申し訳なかった・・・お互い、なかったことにして水に流してよ」 何があったのか、男性は私に謝罪。 私は、それまでとは別人のような低姿勢に気持ち悪さを覚えたものの、謝られて無視するのは礼に反する。 「こちらこそ・・・あの時はちょっと言い過ぎたかもしれません・・・スイマセンでした・・・」 男性に対する不快感は拭いきれなかったが、私は男性の謝罪を受け入れ、自分の非礼も詫びた。 それにしても、男性が態度を豹変させたのは奇妙だった。 しかし、何があったのか・・・その理由はサッパリわからず。 管理会社が金品を渡したわけではないし、大家に叱られたわけでもなさそうだし、他の住人にたしなめられたわけでもなさそう。 「何が起こっても知らないぞ!!」といった、私の意味深な言葉が効いたのか・・・ とにかく、その訳はわからず仕舞いだった。 何はともあれ、表面上でも男性と和解できたことはよかった。 自分に非がないとしても、心にシコリが残ってしまい気分が悪い。 また、作業が無事に完了ことにもホッとした。 ともすれば、忍耐力の弱さがでてしまい、大ゲンカに発展して仕事どころではなくなったかもしれないから。 そうなったら、私の仕事を信頼してくれている担当者や その向こうにいるアパートオーナーを裏切ることにもなったし、更には他住人や故人にまで迷惑をかけてしまうことにもなりかねなかった。 後腐れなく一仕事を終えることができて、清々しい気分に包まれた私は、 「ひょっとして・・・○○(故人)さんが、ちょっと恐いイタズラでもしたのかな・・・・・Good job!」 と、青く澄んだ大空を仰ぎつつ、透明になった故人に微笑んだのだった。
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