底んところ

緊急事態宣言が解除され安堵の一息をついたのも束の間、「微増」とはいえ感染者数が増えてきている。 所々では、小さなクラスターも発生。 東京では独自の「東京アラート」なるものが発動されている。 それでも、もう我慢ならないのか、街や観光地には多くの人々が繰り出している。 感染者数が爆発的に増えなければ(?)、今月19日には(?)、一部地域から(?)、越境規制も緩和される(?)。 そうなると、人の行き来は、ますます増えていくはず。 慎重派の私は、解除の前後でほとんど生活スタイルを変えていないけど、人々のストレスと経済を考えると、無策でなければ、それはそれで悪いことではないだろう。 ただ、あれから二週間近くたつから“そろそろ大きな第二波がくるのでは?”と、不安に思っている。 知ってのとおり、世界は、健康上のことだけでなく経済的にも大打撃を受けている。 中小零細企業の倒産、解雇・失業はもとより、大企業の業績も悪化。 しかし、こんなに甚大な被害を引き換えにしてもなお、ウイルスは終息していない。 それでも、“withコロナ”ということで、各種の規制要請は次第に緩和されつつあり、“夜の街”が不安視されながらも、経済の歯車は小さいところからゆっくり回り始めている。 今のところ、外食の予定も出かける予定もないけど、行きつけのスーパー銭湯が再開しているから、行ってみようかどうか迷っている。 今、流行りの“水着マスク”を着けて行けば、大丈夫かな。 しかし、そういった、考えの甘さと軽率な行動が、感染を再拡大させてしまうのかもしれず、悩ましいところである。 何度が仕事をしたことがある不動産会社から特殊清掃の依頼が入った。 「管理するアパートの一室で腐乱死体が出た」 「“異臭がする”ということで、隣室の住人が通報」 「どんな状況か、行ってみてきてほしい」 お互いに顔を見知っている我々は、“人が死んでいる”というのに声のトーンもテンポも落とさず、不謹慎にも、時折、談笑を交えながら現地調査の段取りを打ち合わせた。 アパートが建っているのは郊外の住宅地。 近年に大規模修繕を行ったのだろう、建築から三十年近くたっているにも関わらず、それほど古びて見えることはなく、結構きれいな建物。 現場は、その二階の一室、間取りは2DK。 汚染度はライト級~ミドル級程度。 ニオイは、そこそこパンチのある濃度で放たれていたが、実際の遺体汚染はそれほど深刻な状態ではなく、床材もクッションフロア(CF)であったため、遺体痕清掃も、「特殊清掃」というほどハードな作業ではなかった。 亡くなったのは、初老の男性。 無職のため社会から距離が空いており発見が遅延。 その孤独な生活は、生活保護を受給して維持。 にも関わらず、部屋からは、故人が節度・良識をもった生活をしていたことはうかがえず。 ギャンブルのマークカードがなかっただけマシかもしれないけど、酒の空缶やタバコの空箱が転がり、整理整頓・掃除もロクにできておらず。 もともと、この類の人間を快く思わない私は、冷酷非情は承知のうえで、 「ただ、“働く気がない”のを“働けない”ってことにしてただけなんじゃないの?」 と、口の中で飼っている苦虫を噛み潰した。 訊けば、このアパートに暮らしているのは、大半が生活保護受給者。 小ぎれいな建物だし、一般の人でも暮らせる充分な間取り。 ただ、周辺には、より条件のいいアパートが乱立。 家賃が同等であれば、少しでも立地がよく、建物や設備のいい物件に人は流れる。 そういった人気物件は、黙ってても一般の入居者で埋まるわけだから、社会的・人間的にハイリスクな生活保護受給者は相手にしない。 一方、その逆で、人気のない物件はそんな“ワガママ”は言っていられない。 “空室にしておくよりマシ”ということで、生活保護受給者でも何でも入れるのである。 不動産運用って、「金持ちの道楽」とはかぎらず、一部の富裕大家を除き、庶民大家の中には、借金して投資して運用している人も少なくない。 また、月々の家賃収入が、そのまま自分の生活費になっている大家も。 空いたままの部屋は一銭の金も生まないわけで、庶民大家には、そのままにしておく余裕はない。 で、人気のない物件は、空室を埋める策として地域相場より家賃を下げざるをえず、結果として、それが生活保護受給要件(家賃の上限額)を満たして、入居契約に結び付きやすくなる。 同時に、それがキッカケで、生活保護部署の役人とパイプができ、以降もつながっていくのである。 受給者は中高齢者、持病がある人が多いため、一般の人に比べて孤独死する可能性が高いことがリスクとして挙げられるかもしれないけど、役所(税金)が生活費の面倒をみるのだから、家賃を取りっぱぐれることはない。 つまり、「経済的にはローリスク・・・ノーリスク」ということ。 結果的に、大家と入居者・役所の利害が一致し、自ずとアパートにはそういった人達ばかりが集まり、本件の類のアパートができ上がるのである。 実際、そういったアパートは街のあちこちにあり、私が、苦虫を噛み潰しながら片づけてきた現場にも、そういったアパートが多くあった。 受給者は、“中高齢者”“持病あり”といったケースが多いのだろうと思うけど、中には、そうでない人もいる。 “若年・無傷病”でも生活保護を受給している人が。 この現場の隣室に暮らす女性がそうだった。 もともと、故人が発見されたのも、女性が「隣の部屋がクサい」と言いだしたことがキッカケ。 で、「自室もクサくなった」ということで、その後、私は女性宅を何度か訪れ、女性の身辺を知ることとなった。 女性は母子家庭だそうで、3歳くらいの小さな子供がいた。 どういう経緯で生活保護の受給要件を満たしたのか怪訝に思うほど、歳は若く身体も健康そう。 会話もハキハキとしており、表面上は精神疾患があるようにも見えなかった。 ま、その辺のところは、私が詮索することではない。 私が引っかかったのは、「母子家庭」といいながらも、そこに“男”がいたこと。 平日の昼間から、スエット姿、寝ぼけた表情。 私が挨拶をしても、目も合さず無言でペコリと頭を下げるだけ。 私が考えていることが伝わったのか、フテ腐れたようにタバコを吹かしているときもあった。 消臭作業と臭気判定のため、女性宅には何度か入ったのだが、平日の昼間、いつ行っても男の姿はあった。 もしかしたら、夜の仕事をしているのかもしれなかったけど、マトモに仕事をしているような善良な雰囲気は醸し出していなかった。 どうみても男は女性親子と一緒に、この部屋で暮らしていた。 私の先入観も手伝って、想像された素性は“ヒモ”。 もちろん、誰と付き合おうが、誰と暮らそうが女性の自由。 しかし、生活保護受給者となると、その自由度は下がって然るべき。 世に中には、金銭(育児手当・児童手当・減税等)目的で、戸籍上でのみの偽装離婚をしている夫婦がいる。 もちろん、この男女がその類なのかどうかわからない。 しかし、遺体異臭がなくなった時点でも、何かよからぬことをやっていそうな人間の “人間異臭”はずっと残り、それは、クサいものには慣れっこの“ウ○コ男”の鼻をも捻じ曲げるほどだった。 これまでも、受給者の部屋を片付けたことは数えきれないくらいあるけど、酒を飲み、タバコを吸い、博打をやっていた形跡のある部屋もまた、数えきれないくらいあった。 死んだ人に悪意を抱くのは私も悪人だからだろうけど、死を悼むどころか、頭にくるような現場だっていくつもあった。 もちろん、“オフレコ”としてではあるけど、親しい役所の人間も、 「大半の受給者は詐欺師」 と言っていた。 私も、現場でのそう感じたことは多々ある。 また、個人的に付き合いのある警察官も、 「受給者に人権はいらない」 と言っていた。 私も、一般の人と比べて人権が制約を受けるのも当然だと思う。 生活保護制度についてプライベートで話すと、愚痴や悪口が、噴火した火山のようにでてくる。 世の中に、同様の意見を持っている人は多いように思う。 しかし、それは、反論の余地のない現実。 私も、私なりに、仕事を通じて感じたことが蓄積され、また、似たような不満を持っている。 これはまだ緊急事態宣言が解除される前のことだけど、とある失業者(40代男性)がTVインタビューを受けている姿が映った。 その人物は、家賃も払えなくなって住処を失いかけており、「このままだと生活保護を申請するしかない」と言っていた。 ただ、どうも求職活動はしていないらしく、それについての言及はなし。 そんな中での、“失業→生活保護”といった考え方に、私は不快感に近い違和感を覚えた。 「安直」というか「短絡的」というか「他力本願」というか「無責任」というか・・・ 失業と生活保護の間には“就職活動”が入るべきではないだろうか。 確かに、羨望の眼差しを浴びるほどのキャリアや、威張れるほどの技能でもないかぎり、この時世で、再就職を果たすのは難しいかもしれない。 難儀することが容易に想像でき、前向きに就活する気分になれないのかもしれない。 また、仮に仕事が見つかったとしても、「キツい、汚い、危険」いわゆる3Kの仕事とか、気のすすまない仕事である可能性が高い。 しかし、もともと、仕事は“好き嫌い”でやるものではないし、特に今は「好き嫌い」を言っているときではないと思う。 この厳しい現実にあって、私の脳裏から「失業」という文字が消えることは片時もないけど、「生活保護」という文字は頭の片隅にも浮かんでこない。 受給要件が簡単にクリアできるような生き方はしてこなかったし、頭と外見を中心に欠陥だらけではあっても働けないほどの傷病も抱えていないし、その前に、その意思がない。 ただ、この私だって、働くのは好きじゃない。 怠けたい、楽したい、遊んで暮らしたい。 「働かなくても生きていけたら どんなにいいいだろう」って、常に憂いている。 税金だって社会保険料だって、払わずに済むのなら払いたくない。 そんなもの払うくらいなら、その分、生活に余裕をもってプチ贅沢でもしたい。 しかし、マトモに生活していくためには、そんなことできるわけがない。 しかも、どうせ生きるのなら最低限の暮らしはイヤ。 少しでも快適に、少しでも楽しく、少しでも幸せに暮らしたい。 となると、その方法は、ただ一つ。 しっかり働いて、社会的責任を果たしていくしかない。 勤労と納税は国民の義務。 社会保険料だって第二の税金で、納める義務がある。 “生活保護費”の原資は、良民の労働による血税。 しかし、受給者の多くは、まともに税金や社会保険料を払ってきていないわけで、そんなデタラメな生活をしていたから困窮したとも言えるわけで、こういうのを「理不尽・不条理」と言わずして、何が「理不尽・不条理」なのか。 そういった義務・責任を果たさないでおいて、“もらえるモノはもらう”といった盗人根性には、憤りすら覚える。 一方で、真に生活保護で守られるべき人に、本当に支援を必要としている人のところに届いていないような気がする。 邪悪な受給者が、生活保護制度の本分を歪め、良民を裏切り、受給者の品格を貶めているが故、また、こういう人達にかぎって結構な人格者だったり高潔なプライドを持っていたりするが故に、生活保護に頼ろうとしない現実もあると思う。 「人様に迷惑をかけたくない」と、仕事を二重三重にかけもちして働いている人、身体を壊すギリギリのところで節約生活を送っている人、惨めな想いに耐え忍んでいる人もたくさんいると思う。 事故や犯罪等の被害者で、自分の努力ではどうすることもできない貧困に陥っている人も。 一生懸命 働いているのに、我が子にひもじい思いをさせなければならない親の悲しさや惨めさを考えたことがあるだろうか・・・ 真に社会全体で助ける必要のある人が、正々堂々と受給できるようにならなければいけないのではないだろうか。 私は、生活保護制度に反対しているわけではない。 支援が必要な人を社会全体で守る制度は必要。 しかし、“正直者がバカをみる”社会であってはならないし、ズルい人間、ただの怠け者を甘やかすだけの制度であってはならない。 しかし、現実は、“だらしない生き方をしてきた人間のズルい生活を、善良な市民が身銭を削って守っている制度”になっていやしないだろうか。 働きもせず、他人の金で飯食って、酒飲んで、タバコ吸って、ギャンブル打って、寝たいときに寝ている者が、寝る間も惜しみ、嗜好を楽しむ余裕もなく働きながらも貧困から脱出できないでいる人より楽な暮らしをしているなんて、どう考えてもおかしい。 現実の運用は、はなはだ不愉快であり、大きな不信感と違和感を持っている。 では、 でたらめに生きてきた者は飢え死にしても仕方がないのか? だらしない生き方をしてきた者は貧乏しても仕方がないのか? ・・・ある意味で、私は「仕方がない」と思う。 少なくとも、日本は自由主義・資本主義の国なのだから。 でなければ、生活を支援する代わりに、人権に相応の制約を加えるべきだと思う。 例えば、一定の場所(言葉は悪いけど“収容所”みたいなところ)に集めて、能力に応じた労働を課すとか。 それが、一般の人が遠ざける、単純作業や重労働、3K仕事であってもやむを得ないだろう。 ただし、特殊清掃だけは除外して・・・私の仕事がなくなるから。 「オマエは、そこまでの苦境に陥ったことがないから、そこまで困窮したことがないから、そんな冷酷非情なことが言えるんだ!」 と言われるかもしれない。 確かに、そう・・・それは認める。 しかし、多くの一般市民は、そうならないために、汗かきベソかき、必死に頑張っているのである。 その頑張りによって獲た実を一方的に横取りすることも、また、人権侵害なのではないだろうか。 世の中は上にいる人達が動かしていることは承知しているけど、たまには、私がいる“底んところ”にも目を向けてほしいものである。 

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リフォーム前の残置物処理

リフォーム前に『キッチンの片づけと冷蔵庫の中身の処理』のみをお願いしたいとのことでしたが、 『家電すべての撤去とキッチンの解体まで』へ変更。 日を改めてお伺いし、対応させていただきました。

□作業場所:戸建 台所                                                      □作業内容:食品梱包搬出 冷蔵庫、電子レンジ、ガスレンジ処理 キッチン一式解体                □作業時間:6時間                                            □作業員:2名                                                      □作業料金:120,000円(税別)(諸経費込)(内装工事別)                             □費用負担:依頼者

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尻拭い

ある日の朝、見知らぬ番号で私の携帯が鳴った。 「“とても良心的な方”ってきいたものですから・・・」 「実際にお仕事を頼むことになるかどうかわからないんですけど・・・」 「相談だけでも大丈夫ですか?」 声の主は、年配の女性。 以前から懇意にしてくれている人の紹介での、仕事の問い合わせだった。 人には人それぞれの生き様があり、人生には人それぞれのドラマがある。 そして、それをじっくり聴くのが嫌いじゃない私。 下衆な野次馬根性もあるけど、それだけじゃなく、自分にとって糧になることも多いから。 ただ、結果として、人の目には、それが“親身に話をきいてくれる”という風に映るのかもしれない。 私は、“良心的”という言葉に、小さな罪悪感と、中くらいの照れ臭さと、大きなプレッシャーを感じながら、それでも、単細胞らしく気を良くして、イソイソと現場に出かけて行った。 出向いた現場は、古い鉄筋構造の建物。 「マンション」と呼ぶには老朽低層すぎる、そうは言っても、重量鉄骨構造は「アパート」と呼ぶには相応しくない。 メンテナンスも行き届いておらず、朽ち果てるのを待っているだけのような建物。 間取りは2DK。 充分に床は露出していたけど、掃除なんか何年もしていない様子。 散らかり放題、汚れ放題、たくさんのゴミが溜まり、至るところが真っ黒・真っ茶色、ホコリだらけカビだらけ。 タバコ臭・油臭・ゴミ臭などの生活異臭も充満。 それは、そのまま故人の人格や生き様を表しているようでもあり、「男性の一人暮らしなんて、だいたいこんなもんですよ」といったセリフもお世辞に聞こえるくらい、ヒドい有り様だった。 そこで暮らしていたのは、70代後半の男性。 無職・無年金、生活保護を受けての一人暮らし。 フツーだったら、部屋の汚さに目を奪われるばかりで、そんなことは気にも留めないのだろうけど、フツーじゃない私には“ピン”とくるものがあった。 それは、そこが孤独死現場であるということ。 もともと、「孤独死現場」とは聞いていなっかたが、DKの床に敷かれた新しい新聞紙と それに滲むシミが、私にそのことを教えてくれた。 相談者は、「一応、血のつながった妹」と名乗る高齢の女性。 相談の内容は、この一室の後始末について。 故人の死を悼んでいる様子はなく、滲み出ているのは困惑の想い。 困惑の表情、怒りの表情、狼狽の表情、嘆きの表情、苦虫を噛み潰したような表情・・・色んな表情を織り交ぜながら、また、複雑な心情を滲ませながら、ことの経緯を話してくれた。 故人は女性の実兄で、若い頃からの放蕩者。 高校の頃からグレはじめ、以降、ずっと家族に迷惑をかけ通し。 自ら高校を中退して社会に飛び出たものの、コツコツ働くことができず。 どんな仕事に就いても長続きせず、トラブルを起こしてクビになることも多々。 色んな理由をつけては転職を繰り返した。 一方、飲む・打つ・買うの三拍子は勢揃い。 おまけに、ケンカや借金も日常茶飯。 収入はないくせに金遣いは荒く、両親が、借金の肩代わりをしたもの一度や二度のことではなく、親のスネは細る一方。 悪い連中と悪さをしては警察の厄介になるようなことも繰り返し、二十代も後半になると、そっちの世界にズルズルとハマっていった。 素行の悪さは近所でも有名。 で、人間という生き物も、他人のスキャンダルを好む。 故人の悪行は、近隣奥様方の井戸端会議のかっこうのネタにされ、犯罪者をみるような好奇の目は、本人を飛び越え家族にまで向けられるようになった。 特に近所に迷惑をかけていたわけでもないのだけど、そのうちに、好奇の目は白い目に変わっていき、そこでの暮らしは“針の筵”のようになっていった。 しかし、だからといって家を越すことはできず、ただただ、それに耐えるほかなかった。 家族が故人と“絶縁”したキッカケは二つ。 一つ目は、借金のかたに家を失いかけたこと。 両親が保証人になっていたわけでもないが、借金の取り立ては両親のもとへ容赦なくきた。 犯罪ギリギリの嫌がらせを受けたこともしばしば。 借金取りは近所の目もはばからずやって来ては、脅しにもとれる派手な雑言を吐いて、女性家族を追い詰めた。 「子の不始末は親の責任」と、それまでも故人がつくった借金を肩代わりしてきた両親だったが、借金のペースは返済のペースを上回り、とうとう、家を売らないと弁済できないところまできてしまった。 しかし、家を失ったら生活が立ち行かない。 切羽詰まった両親は、「これを最後にしよう!」と、親戚縁者を頼って何とか金を工面。 ささやかなプライドと生活の余裕を失うこととを引き換えに、ギリギリのところで家を失うことは免れた。 二つ目・・・それは、女性が当時 交際していた相手の両親に結婚を反対され、破談になったこと。 「実兄にそんな人間がいたら、いつ どんな災いが降りかかってくるかわからない」と。 事実、“災い”は、何度も降りかかってきていたわけで、女性は相手方にまったく反論することができず、泣く泣く身を引いた。 この出来事は、本当に悲しくて悔しくて、自殺すら考えたという。 その後、別の人と縁を持つことができたけど、その時もやはり兄の存在が邪魔をした。 相手側の両親には露骨にイヤな顔をされ、事実上、兄と絶縁することが結婚の条件みたいになった。 事を起こす度、「心を入れ替えてやり直す!」と詫びた故人だったが、すぐに堕落。 血のつながった親兄妹といっても、それぞれが一人の人間であり、それぞれに人生がある。 繰り返し、何度も故人に裏切られた家族は、故人を信じることを諦めた。 そして、自分達の人生が台なしになる前に故人との絶縁を決意。 固い意思をもって、「親でもなければ子でもない」「兄でもなければ妹でもない」「死のうが生きようが、まったく関知しない」と絶縁を宣した。 それに逆ギレした故人は、それまで散々迷惑をかけてきたことを棚にあげ「そんな冷たい人間とは、こっちから縁を切ってやる!」と捨て台詞を吐いて、姿を消した。 そして、それ以降、音沙汰はなくなり、結局、それが、故人との最期の別れとなった。 生前の両親も、それ以降、二度と故人と顔を会わせることはなかった。 故人のせいで大きな借金を負った両親は、平穏な老後を奪われ、身体が動くかぎり働き続けた。 その上、世間の好奇の目にさらされ、下げなくてもいい頭を下げ、親類縁者の中で肩身の狭い思いをしなくてはならなかった。 楽しい余生を故人が奪ったかたちとなり、二人とも、疲れ果てたように逝ってしまった。 女性は、故人にその死を知らせようとも思わず、故人もその葬式に来ることはなかった。 「絶縁!」と言ったって、それは社会的・心情的なもので、血縁をはじめ、戸籍上の縁を切ることはできない。 したがって、故人が何かやらかせば、警察から何かしらの連絡が入ってくるはず。 また、いつ難題が降りかかってくるかわからないわけで、別離後の数年は落ち着かない日々が続いた。 それでも、時間は多くのことを解決してくれる。 年月が経過するとともに故人のことは記憶から遠のいていき、そのうちに頭から消えていった。 何年かに一度、ふとしたときに、 「どこかで生きてるんだろう・・・」 「どうせ、ロクな暮らしはしていないだろう・・・」 と、思い出すようなことはあったけど、そこには楽しい想い出も懐かしさもなく、再会を望む気持ちも湧いてこず。 「このままアカの他人として忘れたい」 という気持ちが変わることはなかった。 そうしているうちに、女性の歳を重ね、子供達は独立し、夫は亡くなり、一人きりの老後ではあったけど平穏に暮らしていた。 そんな静かな日々に、突如、何十年も前に別れたきりの兄の訃報が舞い込んできて、再び、女性の心に苦悩の種を撒いたのだった。 女性は、弁護士に相談して相続放棄の手続きをすすめていた。 そして、永年の絶縁関係なのだから、当然、部屋の賃貸借契約の保証人にもなっておらず。 弁護士からも、「家財処分等、一切やる必要はない」と言われていた。 つまり、死後の始末において、“女性には法的責任はない”ということ。 ましてや、負の遺産の始末なんて、好き好んでやる人はあまりいない。 女性は、そのことを充分に理解していた。 しかし、一方で、大家からは「家財は身内が片づけるべきでは?」とプレッシャーをかけられていた。 そして、“血縁者の道義的責任”ってヤツが、女性の心に引っかかっていた。 女性は、年金生活。 決して裕福な生活ではなく、普段は爪の先に火を灯すような生活をしていることは容易に想像できた。 しかも、既に、故人を葬るため、結構な費用を負担。 それを知ったうえで私が算出した見積は“○十万円”と決して安くはなく、「どこが良心的!?」と憤られても仕方がない金額に。 「“儲けが入ってない”と言ったらウソになりますけど、経費もそれなりにかかるものですから・・・」 それを聞いた女性は、ヒドく表情を曇らせて、 「やっぱり、それくらいかかるんですね・・・」 と、諦めたように溜息をついた。 単に金銭だけの問題ではなく、迷いの種は他にもあり、女性は悩んでいた。 仮に放棄しても、大家に顰蹙をかうくらい。 借金はあったかもしれないけど、広く社会に迷惑をかけるわけではなく、女性が負うべき責任は見当たらず。 それでも、女性は、放棄することが正解だとは思えないみたいで、少しでも正解に近い答を求めるように、 「どうしたらいいと思いますか?」 と訊いてきた。 「血縁者として道義的な責任は負うべき」と言えば、商売根性丸出し、足元をみての押し売りみたいになる。 「法的責任はないのだから放ってもいいのでは?」と言えば、自らの手で大事な一仕事を捨てることになる。 だから、 「私は、お金を払っていただく側の業者ですから、“こうした方がいい”って言える立場じゃないんですよね・・・」 と、結論を導き出すことを躊躇。 結局、“良心的な人間”らしい気の利いた一言が捻り出せず、あとは沈黙でフェードアウトするしかなかった。 女性と故人のような疎遠な関係ではなく、懇意にしていた親族でも、死を境に“知らぬ 存ぜぬ”を通す人もいる。 ヒドい人になると、金目のモノだけコッソリ持ち出して知らんぷりする者もいる。 そんな悍ましい光景を目の当たりにすると、薄情な私でさえ「薄情だな・・・」と軽蔑してしまう。 逆に、どんなに疎遠な関係でも、法的責任はなくても、血縁者としての道義的責任を感じて、身銭をきって故人の後始末をする人もいる。 薄情な私は、「俺だったら放っておくけど・・・奇特な人だな」と、感心することもある。 私は、自分ごときが意見できるものではないことを承知のうえで、それまでに携わってきた多くの現場を思い出しながら、色々なケースがあり、色々な人がいることを話した。 そして、ことは善悪で判断できるものではなく、その人その人の価値観や考え方によって異なること、また、それが、その後の人生に“吉”とでるか“凶”とでるかはわからないけど、何かしらの“節目”というか・・・“分岐点”になるのではないかということを話した。 そして、 「決して小さい金額ではありませんし、相続放棄に抵触することがあったらいけないので、お子さん達と弁護士とよく相談して決めて下さい」 「返答に期限はありませんし、お断りいただいても構いませんから」 と、最低限、“良心的な人間”らしいところをみせて、その場を締めた。 “時間をかけると迷いが生じるばかり”と考えたのだろうか、女性からの電話は翌朝に入った。 “数日先か・・・もしくは、もう連絡がくることはないかもな・・・”と思っていたので、早々の連絡は意外だった。 「子供達は反対したんですけど、お願いすることにしました!」 「何かの因果でしょう・・・こんな人の妹に生まれてきたのは・・・」 「私だってこの歳で先は短いですから・・・この先、心に引っかかるものを残したまま生きていくのは気がすすみませんしね!」 女性は、自分に言い聞かせるようにそう言った。 世の中にとっては ありえない現場でも、私にとっては ありがちな現場。 慣れた仕事でもあり、作業は難なく進行し終了。 最後、完了の日、私は再び女性と待ち合わせ。 私は、薄汚れたまま空っぽになった部屋で、実施した作業の概要を女性に説明。 女性は、作業工程一つ一つに会釈するように頷きながら、黙って私の話に耳を傾けた。 そして、一通りの説明を終えた私が預かっていた鍵を差し出すと、 「ありがとうございました! 本当にお世話になりました!」 と言って、恐縮するくらい深々と頭を下げてくれた。 「さようなら・・・」 現場を去るとき、玄関にカギをかけながら、女性はそうつぶやいた。 その表情は、長年負っていた重荷が肩からおりたのだから、清々しい笑顔であってもよさそうなものだったけど、その横顔はどことなく寂しげな感じ。 こんな性格の私の目は それを見逃さず、また、このクセのある感性は自ずと動いていった。 故人の犠牲になって多くを失った青春時代・・・ 故人と別れて平和に過ごした数十年・・・ そして再び、老い先短い自分に降りかかった故人の尻拭い・・・ そうした自分の人生を振り返ると一抹の寂しさが過り、それが顔に表れたのかもしれなかった。 そして、それを振り切るため、残り少ない人生を楽しく生きるため、上を向いて堂々と生きるために、“涙の想い出”にサヨナラしようとしたのかもしれなかった。 そんな風に想うと・・・ 私にとっては ただの汚仕事が、私の人生にとっては ただならぬ大仕事になる。 そして、サヨナラしたい過去をたくさん抱えながらも、“特掃隊長ってのも悪くないか”と、この人生を笑って受け入れられるのである。

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