底んところ

緊急事態宣言が解除され安堵の一息をついたのも束の間、「微増」とはいえ感染者数が増えてきている。 所々では、小さなクラスターも発生。 東京では独自の「東京アラート」なるものが発動されている。 それでも、もう我慢ならないのか、街や観光地には多くの人々が繰り出している。 感染者数が爆発的に増えなければ(?)、今月19日には(?)、一部地域から(?)、越境規制も緩和される(?)。 そうなると、人の行き来は、ますます増えていくはず。 慎重派の私は、解除の前後でほとんど生活スタイルを変えていないけど、人々のストレスと経済を考えると、無策でなければ、それはそれで悪いことではないだろう。 ただ、あれから二週間近くたつから“そろそろ大きな第二波がくるのでは?”と、不安に思っている。 知ってのとおり、世界は、健康上のことだけでなく経済的にも大打撃を受けている。 中小零細企業の倒産、解雇・失業はもとより、大企業の業績も悪化。 しかし、こんなに甚大な被害を引き換えにしてもなお、ウイルスは終息していない。 それでも、“withコロナ”ということで、各種の規制要請は次第に緩和されつつあり、“夜の街”が不安視されながらも、経済の歯車は小さいところからゆっくり回り始めている。 今のところ、外食の予定も出かける予定もないけど、行きつけのスーパー銭湯が再開しているから、行ってみようかどうか迷っている。 今、流行りの“水着マスク”を着けて行けば、大丈夫かな。 しかし、そういった、考えの甘さと軽率な行動が、感染を再拡大させてしまうのかもしれず、悩ましいところである。 何度が仕事をしたことがある不動産会社から特殊清掃の依頼が入った。 「管理するアパートの一室で腐乱死体が出た」 「“異臭がする”ということで、隣室の住人が通報」 「どんな状況か、行ってみてきてほしい」 お互いに顔を見知っている我々は、“人が死んでいる”というのに声のトーンもテンポも落とさず、不謹慎にも、時折、談笑を交えながら現地調査の段取りを打ち合わせた。 アパートが建っているのは郊外の住宅地。 近年に大規模修繕を行ったのだろう、建築から三十年近くたっているにも関わらず、それほど古びて見えることはなく、結構きれいな建物。 現場は、その二階の一室、間取りは2DK。 汚染度はライト級~ミドル級程度。 ニオイは、そこそこパンチのある濃度で放たれていたが、実際の遺体汚染はそれほど深刻な状態ではなく、床材もクッションフロア(CF)であったため、遺体痕清掃も、「特殊清掃」というほどハードな作業ではなかった。 亡くなったのは、初老の男性。 無職のため社会から距離が空いており発見が遅延。 その孤独な生活は、生活保護を受給して維持。 にも関わらず、部屋からは、故人が節度・良識をもった生活をしていたことはうかがえず。 ギャンブルのマークカードがなかっただけマシかもしれないけど、酒の空缶やタバコの空箱が転がり、整理整頓・掃除もロクにできておらず。 もともと、この類の人間を快く思わない私は、冷酷非情は承知のうえで、 「ただ、“働く気がない”のを“働けない”ってことにしてただけなんじゃないの?」 と、口の中で飼っている苦虫を噛み潰した。 訊けば、このアパートに暮らしているのは、大半が生活保護受給者。 小ぎれいな建物だし、一般の人でも暮らせる充分な間取り。 ただ、周辺には、より条件のいいアパートが乱立。 家賃が同等であれば、少しでも立地がよく、建物や設備のいい物件に人は流れる。 そういった人気物件は、黙ってても一般の入居者で埋まるわけだから、社会的・人間的にハイリスクな生活保護受給者は相手にしない。 一方、その逆で、人気のない物件はそんな“ワガママ”は言っていられない。 “空室にしておくよりマシ”ということで、生活保護受給者でも何でも入れるのである。 不動産運用って、「金持ちの道楽」とはかぎらず、一部の富裕大家を除き、庶民大家の中には、借金して投資して運用している人も少なくない。 また、月々の家賃収入が、そのまま自分の生活費になっている大家も。 空いたままの部屋は一銭の金も生まないわけで、庶民大家には、そのままにしておく余裕はない。 で、人気のない物件は、空室を埋める策として地域相場より家賃を下げざるをえず、結果として、それが生活保護受給要件(家賃の上限額)を満たして、入居契約に結び付きやすくなる。 同時に、それがキッカケで、生活保護部署の役人とパイプができ、以降もつながっていくのである。 受給者は中高齢者、持病がある人が多いため、一般の人に比べて孤独死する可能性が高いことがリスクとして挙げられるかもしれないけど、役所(税金)が生活費の面倒をみるのだから、家賃を取りっぱぐれることはない。 つまり、「経済的にはローリスク・・・ノーリスク」ということ。 結果的に、大家と入居者・役所の利害が一致し、自ずとアパートにはそういった人達ばかりが集まり、本件の類のアパートができ上がるのである。 実際、そういったアパートは街のあちこちにあり、私が、苦虫を噛み潰しながら片づけてきた現場にも、そういったアパートが多くあった。 受給者は、“中高齢者”“持病あり”といったケースが多いのだろうと思うけど、中には、そうでない人もいる。 “若年・無傷病”でも生活保護を受給している人が。 この現場の隣室に暮らす女性がそうだった。 もともと、故人が発見されたのも、女性が「隣の部屋がクサい」と言いだしたことがキッカケ。 で、「自室もクサくなった」ということで、その後、私は女性宅を何度か訪れ、女性の身辺を知ることとなった。 女性は母子家庭だそうで、3歳くらいの小さな子供がいた。 どういう経緯で生活保護の受給要件を満たしたのか怪訝に思うほど、歳は若く身体も健康そう。 会話もハキハキとしており、表面上は精神疾患があるようにも見えなかった。 ま、その辺のところは、私が詮索することではない。 私が引っかかったのは、「母子家庭」といいながらも、そこに“男”がいたこと。 平日の昼間から、スエット姿、寝ぼけた表情。 私が挨拶をしても、目も合さず無言でペコリと頭を下げるだけ。 私が考えていることが伝わったのか、フテ腐れたようにタバコを吹かしているときもあった。 消臭作業と臭気判定のため、女性宅には何度か入ったのだが、平日の昼間、いつ行っても男の姿はあった。 もしかしたら、夜の仕事をしているのかもしれなかったけど、マトモに仕事をしているような善良な雰囲気は醸し出していなかった。 どうみても男は女性親子と一緒に、この部屋で暮らしていた。 私の先入観も手伝って、想像された素性は“ヒモ”。 もちろん、誰と付き合おうが、誰と暮らそうが女性の自由。 しかし、生活保護受給者となると、その自由度は下がって然るべき。 世に中には、金銭(育児手当・児童手当・減税等)目的で、戸籍上でのみの偽装離婚をしている夫婦がいる。 もちろん、この男女がその類なのかどうかわからない。 しかし、遺体異臭がなくなった時点でも、何かよからぬことをやっていそうな人間の “人間異臭”はずっと残り、それは、クサいものには慣れっこの“ウ○コ男”の鼻をも捻じ曲げるほどだった。 これまでも、受給者の部屋を片付けたことは数えきれないくらいあるけど、酒を飲み、タバコを吸い、博打をやっていた形跡のある部屋もまた、数えきれないくらいあった。 死んだ人に悪意を抱くのは私も悪人だからだろうけど、死を悼むどころか、頭にくるような現場だっていくつもあった。 もちろん、“オフレコ”としてではあるけど、親しい役所の人間も、 「大半の受給者は詐欺師」 と言っていた。 私も、現場でのそう感じたことは多々ある。 また、個人的に付き合いのある警察官も、 「受給者に人権はいらない」 と言っていた。 私も、一般の人と比べて人権が制約を受けるのも当然だと思う。 生活保護制度についてプライベートで話すと、愚痴や悪口が、噴火した火山のようにでてくる。 世の中に、同様の意見を持っている人は多いように思う。 しかし、それは、反論の余地のない現実。 私も、私なりに、仕事を通じて感じたことが蓄積され、また、似たような不満を持っている。 これはまだ緊急事態宣言が解除される前のことだけど、とある失業者(40代男性)がTVインタビューを受けている姿が映った。 その人物は、家賃も払えなくなって住処を失いかけており、「このままだと生活保護を申請するしかない」と言っていた。 ただ、どうも求職活動はしていないらしく、それについての言及はなし。 そんな中での、“失業→生活保護”といった考え方に、私は不快感に近い違和感を覚えた。 「安直」というか「短絡的」というか「他力本願」というか「無責任」というか・・・ 失業と生活保護の間には“就職活動”が入るべきではないだろうか。 確かに、羨望の眼差しを浴びるほどのキャリアや、威張れるほどの技能でもないかぎり、この時世で、再就職を果たすのは難しいかもしれない。 難儀することが容易に想像でき、前向きに就活する気分になれないのかもしれない。 また、仮に仕事が見つかったとしても、「キツい、汚い、危険」いわゆる3Kの仕事とか、気のすすまない仕事である可能性が高い。 しかし、もともと、仕事は“好き嫌い”でやるものではないし、特に今は「好き嫌い」を言っているときではないと思う。 この厳しい現実にあって、私の脳裏から「失業」という文字が消えることは片時もないけど、「生活保護」という文字は頭の片隅にも浮かんでこない。 受給要件が簡単にクリアできるような生き方はしてこなかったし、頭と外見を中心に欠陥だらけではあっても働けないほどの傷病も抱えていないし、その前に、その意思がない。 ただ、この私だって、働くのは好きじゃない。 怠けたい、楽したい、遊んで暮らしたい。 「働かなくても生きていけたら どんなにいいいだろう」って、常に憂いている。 税金だって社会保険料だって、払わずに済むのなら払いたくない。 そんなもの払うくらいなら、その分、生活に余裕をもってプチ贅沢でもしたい。 しかし、マトモに生活していくためには、そんなことできるわけがない。 しかも、どうせ生きるのなら最低限の暮らしはイヤ。 少しでも快適に、少しでも楽しく、少しでも幸せに暮らしたい。 となると、その方法は、ただ一つ。 しっかり働いて、社会的責任を果たしていくしかない。 勤労と納税は国民の義務。 社会保険料だって第二の税金で、納める義務がある。 “生活保護費”の原資は、良民の労働による血税。 しかし、受給者の多くは、まともに税金や社会保険料を払ってきていないわけで、そんなデタラメな生活をしていたから困窮したとも言えるわけで、こういうのを「理不尽・不条理」と言わずして、何が「理不尽・不条理」なのか。 そういった義務・責任を果たさないでおいて、“もらえるモノはもらう”といった盗人根性には、憤りすら覚える。 一方で、真に生活保護で守られるべき人に、本当に支援を必要としている人のところに届いていないような気がする。 邪悪な受給者が、生活保護制度の本分を歪め、良民を裏切り、受給者の品格を貶めているが故、また、こういう人達にかぎって結構な人格者だったり高潔なプライドを持っていたりするが故に、生活保護に頼ろうとしない現実もあると思う。 「人様に迷惑をかけたくない」と、仕事を二重三重にかけもちして働いている人、身体を壊すギリギリのところで節約生活を送っている人、惨めな想いに耐え忍んでいる人もたくさんいると思う。 事故や犯罪等の被害者で、自分の努力ではどうすることもできない貧困に陥っている人も。 一生懸命 働いているのに、我が子にひもじい思いをさせなければならない親の悲しさや惨めさを考えたことがあるだろうか・・・ 真に社会全体で助ける必要のある人が、正々堂々と受給できるようにならなければいけないのではないだろうか。 私は、生活保護制度に反対しているわけではない。 支援が必要な人を社会全体で守る制度は必要。 しかし、“正直者がバカをみる”社会であってはならないし、ズルい人間、ただの怠け者を甘やかすだけの制度であってはならない。 しかし、現実は、“だらしない生き方をしてきた人間のズルい生活を、善良な市民が身銭を削って守っている制度”になっていやしないだろうか。 働きもせず、他人の金で飯食って、酒飲んで、タバコ吸って、ギャンブル打って、寝たいときに寝ている者が、寝る間も惜しみ、嗜好を楽しむ余裕もなく働きながらも貧困から脱出できないでいる人より楽な暮らしをしているなんて、どう考えてもおかしい。 現実の運用は、はなはだ不愉快であり、大きな不信感と違和感を持っている。 では、 でたらめに生きてきた者は飢え死にしても仕方がないのか? だらしない生き方をしてきた者は貧乏しても仕方がないのか? ・・・ある意味で、私は「仕方がない」と思う。 少なくとも、日本は自由主義・資本主義の国なのだから。 でなければ、生活を支援する代わりに、人権に相応の制約を加えるべきだと思う。 例えば、一定の場所(言葉は悪いけど“収容所”みたいなところ)に集めて、能力に応じた労働を課すとか。 それが、一般の人が遠ざける、単純作業や重労働、3K仕事であってもやむを得ないだろう。 ただし、特殊清掃だけは除外して・・・私の仕事がなくなるから。 「オマエは、そこまでの苦境に陥ったことがないから、そこまで困窮したことがないから、そんな冷酷非情なことが言えるんだ!」 と言われるかもしれない。 確かに、そう・・・それは認める。 しかし、多くの一般市民は、そうならないために、汗かきベソかき、必死に頑張っているのである。 その頑張りによって獲た実を一方的に横取りすることも、また、人権侵害なのではないだろうか。 世の中は上にいる人達が動かしていることは承知しているけど、たまには、私がいる“底んところ”にも目を向けてほしいものである。 

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