ヤバい奴

5月も中盤に入ってきているというのに、なかなか暖かさが安定しない。 例年なら、暖かい日はもちろん、暑い日も少なくないはず。 なのに、今年はこんな感じ、いわば“令春”。 何かの摂理が働いてのことか・・・ この寒気が何かに影響しているのかどうか、逆に、何かが影響して寒気がきているのかどうか知る由もないけど、多くの人が曝されているように 肌で感じる気温だけではなく、世の中の空気まで寒々しくなっていることは言うまでもない。 こういう事態になってくると、平穏な日常のありがたみをヒシヒシと感じる。 飽き飽きするほどかわり映えしない毎日、平凡でありきたりの日常、不平不満ばかり吐いていた味気ない日々を・・・ ついこの前のことなのに、そんな日常を懐かしく思ってしまうのは、それほど、このコロナ災難が重大かつ深刻であるということか。 休業や外出自粛で、街の活気も失われている。 “活気”だけでなく、“生気”まで失っている人もいるだろう。 ただ、この期に及んでも、一部には“三密回避”“外出自粛”を無視し、人の迷惑も顧みない輩もいるよう。 “自由”というものの成り立ちや根源を知らず、自制できないことを“自由な生き方”と勘違いし、「経済を回すため」等と自制心の欠落を他人への偽善にすり替え、無責任なクセに困ったことが起こると他人からの支援を当然のように貪るヤバい奴だ。 「越境飲み!?」「越境パチンコ!?」 もう、呆れるし、不愉快だし・・・強い憤りを覚える。 「外出自粛要請」がでていても、在宅勤務が不可能な私は、毎日、出勤している。 現場仕事は少なくなってきているけど、それでも、まだやるべき仕事があるから。 ただ、仕事以外での外出は控えている。 スーパーに食料を買いに行くくらいにして、余計な動きはしていない。 しかも、できるだけ短時間で、レジ精算時をはじめ、店内を歩くときも他の客との距離に気をつけている。 せっかく?時間があるのだから、スーパー銭湯にでも行ってリフレッシュしたいところだけど、そこも営業休止中(営業していても、今は行かないけど)。 しばらくぶりの軽登山も考えたが、人出が多いと登山道は混む。 屋外とはいえ、人と濃厚接触してしまうこともあり得る。 しかも、マスクをしたたままでは呼吸がツラい。 で、結局、断念。 あとは、ソロキャンプか、一通りの道具は持ってるし。 しかし、キャンプ場も混み合ったら意味がない。 シャワー室・トイレ・炊事場などは感染リスクが高いから、やはりダメ。 その代わりに、今年は花見もできなかったし、もう少し暖かくなるのを待ってBBQでもやろうかとも思うけど、人を集めてしまうのはマズいので、これも工夫が必要。 あと、“ソロBBQ”でも気分転換できるはずだけど、趣味を孤高に楽しんでいるように見えるソロキャンプは、ある意味でカッコいいのに比べ、“ソロBBQ”ってのは、「そこまでして炭火で飯が食いたいのか?」っていう風に見られて、なんだか、ネクラっぽい孤独感がでて“ヤバい奴”になってしまいかねない。 結局、できることが思いつかず、人を避けながらウォーキングだけやって その日その日を暮れさせているのである。 休みがとりやすくなったのはありがたいけど、遊び慣れしていない私でも、何のレジャーも楽しめないのは寂しく思う。 また、その理由が仕事減では、身体は休めても気持ちは休まらない。 現場作業が少なくて身体は楽になったのかもしれないけど、逆に精神はツラくなっている。 事態が深刻化していく一方であるうえ いまだウイルスの収束時期が読めていないわけで、先に明るい展望が持てないから余計に。 筋金入りのネガティブ男(私)は、この先のことを考えると 悪い予感しかしない。 そして、鬱持ちであるが故に、その精神は それに過敏に反応しているのである。 何とか今はまだ、少しは余裕があるけど、このまま時が経てば経つほど、私も徐々に追い詰められていくだろう。 ホント、困った・・・ホント、弱った・・・。 「転落死なんですけど・・・」 付き合いのある不動産会社から特掃の依頼が入った。 現場は、繁華街の裏路地にある古い木造アパート。 そこは、車が通れるほどの道幅はないけど、自転車や歩行者の往来は多いエリア。 建物は二階建で、1DKが一階に二戸、二階に二戸。 二階の一室は空室で、もう一室が故人の部屋。 二階へつながる階段は内階段になっており、二階二戸の玄関は一階、路地に面していた。 「うぁ!・・・ヤバ・・・」 目を見張ったのは、その玄関。 玄関ドア外側の下部には、いくつも赤黒い筋。 それは、醤油やソースでもなく、チョコレートでもなし。 そう・・・それは、どこからどう見ても血、しかも大量。 私は、不動産会社から“階段下の玄関で倒れていた”ということは聞いていたが、“外に血が流れ出ている”ということまでは聞いていなかったので、ちょっと驚いた。 「さてと・・・開けてみるか・・・」 私は、何枚かのタオルを細長く折り、ドアの下に重ねて置いた。 そして、不動産会社から借りてきた鍵を挿入。 周囲に人影がないことを確認してから、ゆっくりドアを引いた。 素人ではない私は、ドアを開ける際、ダムが決壊したときのように土間の血が再び流れ出てくることにも用心していた。 しかし、幸い、血だまりの大部分は凝固し、新たに流れ出てくることはなかった。 「うぁ~・・・こりゃ迫力あるな・・・」 眼下には、赤黒い粘液で覆われた玄関土間が出現。 それは、半乾きの状態で滞留した大量の血。 乾いた部分は冷えたブラックチョコレートのように固まり、乾ききっていない部分は煮詰めた赤ワインのように生々しく光っていた。 と同時に、特有の血生臭さがプ~ンと私の鼻をとおり過ぎて、ズ~ンと精神を圧してきた。 「本当に転落死か?」 もっとも大きい血痕は玄関土間にあったけど、そこだけにとどまらず階段から二階故人宅の台所床にも付着。 もともと身体の具合が悪かったのだろう、 “転落”だけではない死因が他にあったことは素人目にも明白。 室内で吐血または下血した後、それで慌てたか、階段を転げ落ちて外傷を負ったものと思われた。 ま、どんなに推理を働かせてところで、私がやらなければならない仕事は変わらない。 自分の中で一応の決着をみた私は、作業のシミュレーションに頭を切り替えた。 「しかし、よりによって、この場所とは・・・」 そこは人通りが多い路地に面した位置。 階段は急で狭く、血が溜まった玄関の土間も狭い。 しかも、くたびれた裸電球はロウソクの灯程度の光しか放たない。 室内からの特掃は極めてやりにくい・・・ドアを開けた状態で外からやらないと無理な構造。 しかし、そうすると、通行人から血痕も作業も丸見え、“なかなかの見世物”になりかねない状況だった。 「別に、悪いことするわけじゃないんだから・・・」 ない頭で知恵を絞ってはみたものの、私は、その作業法以外の妙案を思いつかず。 開き直ってやるしかなく、結局、オープンで作業することに決定。 私は、自己防衛のため“一人の世界”に引きこもり、誰かに近づかれないよう“多忙につき声かけ無用”の雰囲気を醸し出して心理的なバリアを張ることに。 極力、自分の視界を狭くするため、うつむき加減でしゃがみ込み、ほとんど路地側に背中を向けたまま作業をすすめた。 「警察とか呼ばれたらかなわんな・・・」 一人の世界にバリアを張っていても、私の横目視界には幾人もの通行人が入り、耳には近づいては遠ざかる足音が聞こえ、背中にはムズ痒くなるような好奇の視線を感じた。 ただ、ヒマな野次馬はほとんどおらず、大方の人は、軽く目をやるだけで通り過ぎていったと思う。 好奇心旺盛な人の中には視線を止めた人もいただろうけど、そんな気配は感じなかったから、多分、歩を止めて覗き込んだ人はいなかったと思う。 ただ、多くの人は、“血だらけの玄関”と“両手 血まみれの男”を見て、“ギョッ!”としたのではないかと思う。 これで鋭利な道具でも使っていたら、完全に警察を呼ばれていただろう。 事実、小声ながらも、何度か驚嘆の声が上がったのを私の耳は聞き逃さなかった。 「ヤバい奴に見えてんだろうな・・・」 私は、背後を往来する人から見た自分の姿を想像。 その怪しさは、例えようがないくらいの奇妙でインパクトのあるもの。 我ながら、その様がなんともおかしくて、故人には失礼ながら、時々 クスクスと笑いが込みあげてきた。 黙っていても“ヤバい奴”なのに、そいつが一人で笑っているとなると“ヤバい”と通りこして“恐ろしい”。 “そんな風に見られているかも”と思ったら、私は、余計に自分がおかしくて、“ヤバい現場で笑っているヤバい奴”となってしまっていた。 時々、私は、ヤバい奴に変身する。 アブナイ系ではなく、ヘンテコ系の。 特掃現場では、特にそうなる。 ヤバい所が元来の仕事場で、ヤバい状況を片づけるのが仕事なのだから仕方がない。 客観的に見ると、その様は、かなりグロテスクかつ滑稽だと思う。 人の目には、とてもカッコよく見えるものではないけど、それでも、自分では「カッコいい」と思ってしまうときもある。 その由縁は、“使命感・責任感”“依頼者の付託に応えるため”などといった上等のものではなく、“故人の尊厳を守る”“仕事のプライド”などと言った高等のものでもない。 “並の奴にはできんだろ”といった塵芥のような優越感だったり、“俺にしかできんだろ”といったゴミ屑のような職人技だったり、自分以外の他人には興味も価値もないことだったりする。 更に、その由縁がある。 それは、その内にいる“ヤバい奴”。 私の心底には、過激な思考、邪悪な想像、卑猥な妄想(ちなみに、性癖はノーマル)をする奴がずっと居座っている。 例えば・・・・・んー・・・問題あるから書くのはやめておこう。 もちろん、そいつが現実の行動にまで姿を現してくることはない(?)けど(たまにはあるかも、・・・あるな・・・)、人に知れると、人は私から離れていくだろう。 ただでさえ、交友関係が狭い私の場合は、いよいよ一人ぼっちになるか。 ま、この時期なら、人との距離は空いた方がいいし、一人ぼっちでいるくらいの方が安全だし、世の中のためにもなる。 今は、これからくるであろう“寒夏”に耐えきれるかどうか悩むことはさておいて(私は悩んでしまうけど)、また、他人事として無責任に遊ぶことはやめて、我々がやれること・やるべきことを真剣に考え、真摯に取り組むべきとき。 今は、今日の自分のために生きるのではなく、明日の自分のために生きるべきとき。 それが、誰かのためになり、世の中のためにもなる。 常々、“今を大切に”、“今を楽しむ”生き方に憧れ、実践したいと思っている私だけど、それは、今を大切にすることに矛盾することなく、今を楽しむことに通じる部分もある。 我々は、獣や草と同じではなく、本能だけじゃない動力を持たせてもらっている「人間」・・・・・幸せに生きるチャンスをもらっている「人間」なのだから。 とにもかくにも、この“新型コロナウイルス”ってヤバい奴、早いとこ くたばってほしいものである。

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