隣人哀

「誠意をみせろ!誠意を!!」 男性は、私に向かって大声をあげた。 ことの発端はこう・・・ とあるアパートの一室で、高齢の住人男性がひっそりと孤独死。 放置された日数は少なくはなかったが、冬の寒冷の中で腐敗速度は低速。 遺体は、膨張溶解ではなく乾燥収縮。 異臭は発生してはいたものの、それは「腐乱死体臭」というより、高齢者宅にありがちの“尿臭”にちかいもの。 私からすれば“ライト級”・・・いや、“ストロー級”、ホッとできるくらいの現場だった。 故人の部屋は独立した角部屋。 アパートの構造上、隣室との間には、共用階段が挟まれていた。 つまり、壁一枚で隔てられた隣室はないということ。 しかも、室内の異臭は軽度で外部漏洩はなく、近隣に迷惑がかかっているというようなことはなし。 それは、不動産管理会社の担当者も現場に来て確認していた。 私は、調査からほどなくして作業に着手。 軽症の現場とはいえ、油断せず、近隣に対する配慮も怠らず、いつものように自分のセオリー通り組み立てた手順で作業を進めた。 遺体汚染は素人目にはわからないくらいのもので、尿臭も素人でも我慢できるくらいのもの。 床の残った体液は最初の30分で、室内にこもった尿臭も数日のうちに収束。 何も言われなければ、そこで人が亡くなったことはおろか、まだ、そこで人が生活していると言ってもいいくらいの部屋に戻った。 「隣の部屋の人が“クサい!”って言ってるんですけど・・・」 作業も終盤にさしかかった頃のある日の夕方、管理会社の担当者から電話が入った。 何日も前に特掃は終わらせ、消臭消毒作業も山場を越えて仕上げ段階にきてのこと。 「何かの間違いじゃないですか?」 まったく心当たりのない私は、首をかしげた。 現場を知っている担当者も、どうにも解せない様子だった。 しかし、臭覚は、個人的・主観的な感覚。 臭気の感じ方に、個人差があっても不自然ではない。 また、腐乱死体臭の場合、一度嗅いでしまうと精神にニオイがついてしまい、「鼻について離れない」と言われることも多い。 結局、「電話じゃラチが明かない」ということで、私は、急遽、現場へ出向くことに。 一日の仕事を終え帰り支度も終わった段階、暗くなってからの出動はとても面倒臭くはあったけど、付き合いの長い担当者は、いつも私の仕事ぶりを評価してくれ、何かとよくしてくれていた。 その恩義もあったので、私は、さっさと支度を整えて現場へ急行した。 現地に着いた頃、陽はとっくに暮れ、冷え冷えとした空気が暗がりを覆っていた。 まず、私は、現場の部屋の前へ。 周辺の空気を慎重に嗅いだが、当初から変わらず特に異臭は感じず。 ただ、常日頃から凄惨現場で苛めぬかれている鼻が、腐乱死体臭を“異臭”として感知しない可能性もある(そんなはずないけど)。 ミスがあってはいけないので、私は、念には念を入れて、外気と部屋の前の臭気を交互に嗅いだ。 結果、異臭を感知しなかった私は、「異臭なし」と判断。 「何かの勘違いだろう・・・」と、苦情を言ってきている隣室のドアをノック。 すると、中から初老の男性がでてきた。 「アンタが掃除の業者?」 初対面なのに、不愉快なタメ口。 「そうです・・・」 礼をわきまえない人間は嫌いなのだが、私は、敬語対応。 「クサくて部屋にいられないよぉ!どおしてくれんの?」 完全に上から目線で、何かをたかるような ねちっこい口調。 「特に変なニオイはしませんけど・・・」 まったく異臭を感じない私は、感じたことを率直に返答。 「何いってんだよ!こんだけ人に迷惑をかけといて、“臭わない”はねぇだろ!」 男性は不快感を露わに。 「この仕事、恥ずかしいくらい長くやってますから、ここに遺体のニオイがないことくらいわかりますよ」 こういうときに熱くなるのは禁物、私は冷静さを保つよう努めた。 「俺が“クサい!”って言ってんだからクサいんだよ!」 男性は、どこかの政治家みたいに論点をすり替えて、テンションを上げた。 「私が“クサくない!”って言ってるんだからクサくないんですよ!」 内心で苛立ちはじめていた私は、ギアを戦闘モードに切り換える準備をしながら男性の揚げ足をとった。 そんな平行線のやりとりを繰り返しているうちに、男性の怒りは頂点に。 「バカ野郎!」「掃除屋のクセに!」等と語気を強め、人差し指を頬にあてて「こっちの知り合いもいるんだからな!」と、化石級の脅し文句で威嚇してきた。 そして、そんなやりとりの中で、「誠意をみせろ!誠意を!!」と、大声をあげたのだった。 良識をもって作業を行うことはもちろん、近隣や他人に社会通念を逸するような迷惑をかけてはいけない。 しかし、根拠のない苦情や理不尽な行為は 到底 容認できるものではない。 そのうえ、私は、臆病者のくせに気は短い。 争いごとは好まないくせに、勝算のある揉め事は嫌わない。 また、弱虫のくせに口は達者で、屁理屈をこねるのも不得意ではない(“口が減らないヤツ”と褒めて?くれる人も多い)。 「金がとれる」等と、どこかの愚か者に入れ知恵でもされたのだろう・・・話の中で男性の魂胆が見えた私は“ニヤリ”。 「ちょっと不動産会社の担当者と相談しますから・・・」 と、男性の要求を検討する素振りをみせながら、一方、頭の中では形勢逆転を画策しながら、一旦、戦線を離脱した。 私は、ことの経緯を担当者へ報告。 どんな人間であれ不動産会社にとって入居者は客であるから、不愉快な気持ちを抑えて丁寧に対応してきた担当者だったが、事の真相が“金銭目的のゆすり”であろうことがわかると声色が変わった。 怒りを滲ませ、「何を言われても無視していい」とのこと。 更に、「反論していいですか?」の問いに、 「言いたいことがあるなら言い返してもいいですよ!」 「ただ、挑発にのって手を出したりしないように!」 「あと、念のため録音に気をつけて下さい」 と、男性に応戦することを認めてくれた。 本件の責任者である担当者の許可を得た私は、意気揚々かつ虎視眈眈と戦線に復帰。 再び男性と対峙し、先に口火を切った。 「ところで、“誠意”って何ですか? 具体的に言ってもらわないとわからないんですけど!」 「“誠意”ったら“誠意”だよ! ガキじゃないんだからそんなのすぐわかるだろ!」 「そう言われてもねぇ・・・」 「自分の頭で考えろ!」 「私、頭が悪いものでわからないんですよぉ・・・具体的に教えてくださいよ!」 「バカか!?オマエは!」 「そうなんでしょうねぇ~・・・全然わからないなぁ~・・・」 「ホント!頭にくるヤツだ!!」 男性が金銭を要求しているのは明らかだったので、私は、男性の口から「金」という一言を引き出そうとした。 しかし、自ら「金をよこせ」なんていうと詐欺・恐喝などの犯罪になりかねない。 あと、感情にまかせて暴力をふるっても同様。 男性はそこまでバカじゃなかったのではなく、同じようなことをやらかして懲らしめられた過去があったのだろう、その一言は口にしなかった。 また、拳をあげる素振りで威嚇してきたものの実際に殴りかかってくることもなかった。 男性はフルパワーで脅しているつもりだったのだろうけど、一方の私は、恐いどころか痛くも痒くもなし。 余裕の薄ら笑いを浮かべながら、“のらりくらり”と“おとぼけ”に徹した。 しかし、終わりの見えない口論は時間の無駄。 押し問答に飽きてきた私は、男性の弾が尽きそうな頃合いを見計らって、攻勢に転じた。 「○○(故人)さんが亡くなって発見されないでいる間はクサくなかったんですか!?」 「悪臭があったとしたら最初からのはずなのに、なんで、今頃になって言ってくるんですか!?」 「“クサい!クサい!”って、そもそも遺体のニオイを知ってるんですか!?」 「もともと△△(男性)さんちがクサいんじゃないですか!? その証拠に、アパートの他の人は誰も何も言ってきてないじゃないですか!」 「何をせしめたいのか、ハッキリ言ったらどうですか!?」 と、嫌味弾をたっぷり込めたマシンガンをブチかました。 更に、腹いせついでに、 「△△さんは、この先ずっと死なないんですか? その歳で、この先○○さんみたいにならない確証はあるんですか?」 「そもそも私が出したニオイじゃないんだから、私が文句を言われる筋合いはないですよ!」 「“一人きりで亡くなった○○さんが悪い”とでも言いたいのなら、どうぞ当人に言って下さい! 近くで、こっちを見てるかもしれませんから!」 「ただし、その後、何が起こっても私は知りませんけどね!!」 と、グーの手に立てた親指で故人の部屋をクイクイと指しながら、私は、意味のないことを ことさら意味ありげに言い放った。 「・・・そ、そんなの俺の知ったことか!」 男性は、まともに反論できず“蜂の巣”に。 子供のようにそう言い捨てると、スゴスゴと自室に退却。 まだ弾が残っていた私が“話はまだ終わってない!”とばかりにドアをノックしても反応せず、天敵を前にしたカタツムリのように、そのまま部屋に閉じこもってしまった。 そして、これに懲りたのだろう、その後も、私が故人の部屋に作業に入っても自室から出てくることはなかった。 そんなある日、私が隣室に立ち入る物音をききつけた男性が、久しぶりに自室から出てきた。 「新たなネタを仕入れたか? 今度はどんな因縁をつけてくる気だ?」と私は警戒。 しかし、何だか、それまでとは様子が違う。 前回同様に私を睨みつけてくるのかと思ったら、予想に反し、どことなく気マズそうな顔に不気味な愛想笑いを浮かべて近寄ってきた。 「ご苦労様・・・この前は申し訳なかった・・・お互い、なかったことにして水に流してよ」 何があったのか、男性は私に謝罪。 私は、それまでとは別人のような低姿勢に気持ち悪さを覚えたものの、謝られて無視するのは礼に反する。 「こちらこそ・・・あの時はちょっと言い過ぎたかもしれません・・・スイマセンでした・・・」 男性に対する不快感は拭いきれなかったが、私は男性の謝罪を受け入れ、自分の非礼も詫びた。 それにしても、男性が態度を豹変させたのは奇妙だった。 しかし、何があったのか・・・その理由はサッパリわからず。 管理会社が金品を渡したわけではないし、大家に叱られたわけでもなさそうだし、他の住人にたしなめられたわけでもなさそう。 「何が起こっても知らないぞ!!」といった、私の意味深な言葉が効いたのか・・・ とにかく、その訳はわからず仕舞いだった。 何はともあれ、表面上でも男性と和解できたことはよかった。 自分に非がないとしても、心にシコリが残ってしまい気分が悪い。 また、作業が無事に完了ことにもホッとした。 ともすれば、忍耐力の弱さがでてしまい、大ゲンカに発展して仕事どころではなくなったかもしれないから。 そうなったら、私の仕事を信頼してくれている担当者や その向こうにいるアパートオーナーを裏切ることにもなったし、更には他住人や故人にまで迷惑をかけてしまうことにもなりかねなかった。 後腐れなく一仕事を終えることができて、清々しい気分に包まれた私は、 「ひょっとして・・・○○(故人)さんが、ちょっと恐いイタズラでもしたのかな・・・・・Good job!」 と、青く澄んだ大空を仰ぎつつ、透明になった故人に微笑んだのだった。

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笑顔の向こうに

緊急事態宣言も延長され、遊ぶ場所は軒並み休業で、外出自粛はもちろん他都道府県への移動も事実上制限されている。 こういう局面になっても自制できない連中のことはさておき、良識ある?私にはモラルをもった行動が求められる。 そうはいっても、自制心のある大多数の人の中にも、GWの過ごし方に悩み、“ステイホーム”しきれず、屋外の散策等に出かけた人も少なくないのではないだろうか。 “三密回避”の啓蒙がすすんだ反面、“密が三つ揃わなければ大丈夫”“屋外なら大丈夫”といった誤った認識も広がったのではないかと思う。 だから、人々は公園や海に出かけて平気で遊べるわけ。 人が密集していようが、人と密接していようが、「屋外」というだけで安心して。 実際、身近なところでも、マスクもせずハァハァ走っている中年や、数名で集まってワイワイやっている若者をよく見かける。 そして、利己主義者特有の自己中心的な苦々しさを覚えている。 かくいう私も、4月下旬に旅行を計画していた(正確にいうと、実兄が計画したものに乗っかっただけ)。 生まれて初めての四国旅行だったのだが、緊急事態宣言が出された段階で即中止に。 ちなみに、私は半世紀余も生きてきて、一度も四国四県に行ったことがない。 あとは、沖縄も・・・そういえば、福井・和歌山・長崎・佐賀にも行ったことがなく、岐阜は ただ何度も通過したのみ。 そう考えると、どこも行ってみたいところばかりだ。 でも今は無理だから、かわりに、「気分転換に海にでも行こうか・・・」と考えた。 そうはいっても、さすがに伊豆や熱海ってわけにはいかないから、もっと近場で。 鎌倉や江の島、湘南方面もいいところなんだけど、そのときは“不自粛サーファー”の悪い印象があった。 個人的には、館山や銚子、九十九里の方が気楽で行きやすいので、房総方面を検討。 しかし、結局のところ、それでは、“自制できない輩”と同じで、思慮のない無責任行動は世の中のためにならない・・・ひいては、自分のためにならないから いつもの狭い生活圏内にとどまっている。 ただ、絶え間ない自粛・緊縮は人々にストレスを与え、長引けば長引くほどそれは大きくなる。 私に笑顔がないのはコロナ前からの日常的なことだけど、人々から笑顔が消えてしまわないか心配。 そして、今はまだ理性で支配できている秩序が乱れていくことも。 ささいなことで揉める、ちょっとしたことでキレる、暴力や暴言が横行する・・・ 医療崩壊だけでなく、このままでは社会秩序まで崩壊してしまうのではないかと懸念される。 遺品処理の依頼が入った。 依頼者は50代の男性。 亡くなったのは男性の父親、80代。 葬儀も終わり、身辺も落ち着いてきたので、故人宅の家財を片づけたいとのこと。 男性は、その死因までは言及しなかったが、話のニュアンスから急逝であったことが伺えた。 現地調査の日、男性は、約束に時刻より早く現地に来ていた。 外見上の年齢は、私より少し上。 ちなみに、私は、自分の外見について“実年齢より若く見える”といった勘違いはしていない。 男女問わず、“自分は若く見える”というのは、多くの人がやらかすイタい過ちである。 それはさておき、男性は仕事の合間をみて現場に来たらしく、私と似たような作業着姿で、同じ肉体労働者として親しみを持ってもらえたのか、私に対してとても礼儀正しく接してくれた。 現場は、閑静な住宅地に建つ老朽アパートの一室。 間取りは、古いタイプの2DK。 和室が二間と狭い台所、トイレ、浴室。 部屋は純和風、トイレも和式、浴室はタイル貼で、給湯設備も 今はもう少なくなってきたバランス窯。 新築当時はモダンだったのだろう、昭和の香りがプンプン漂う建物だった。 故人は、もともと、几帳面な性格で、きれい好きだったよう。 室内の家財は多めだったが、整理整頓清掃は行き届いていた。 老人の一人暮らしのわりには、水廻りもきれいにされていた。 「庭」と呼べるほどのスペースではなかったけど、物干が置かれた裏手には、数個の鉢植があり、季節の花が蕾をふくらませていた。 そして、これから花開こうとするその生気は、そこから故人がいなくなったことを・・・儚いからこそ命は輝くことを説いているようにも見えた。 部屋の隅には、スペースと釣り合わない立派な仏壇が鎮座。 私の背丈よりは低いものの、重量は私よりも重そう。 また、私は安い人間だけど、仏壇の方は結構な値段がしそうなものだった。 中に置かれた仏具は整然と並んでおり、ホコリを被っているようなこともなし。 線香やロウソクも新しいもので、厚い信仰心を持っていたのだろう、故人が“日々のお勤め”を欠かしていなかったことが伺えた。 その仏壇の前の畳には、水をこぼしたような不自然なシミ。 特掃隊長の本能か、私の野次馬根性と鼻は、かすかにそれに引っかかった。 水なら数時間で乾いて消えるはず・・・しかし、油脂なら乾いて消えることはない・・・ つまり・・・それは植物性の油、もしくは動物性の脂ということになる。 肌寒の季節に似合わず窓が全開になっていることを鑑みて、私は“後者”だと推察した。 私は、それとなくそれを男性に訊いてみた。 すると、男性は、少し気マズそう表情を浮かべ、事実を返答。 やはり故人は、そこで亡くなり、そのまま数日が経過していた。 隠しておくつもりもなかったのだが、伝えるタイミングを探していたところ、私が先に尋ねてしまったよう。 ただ、時季が春先で、そんなに気温が高くなかったため、目に見えるほど腐敗はせず、その肉体から少量の体液が漏れ出ただけで事はおさまっていた。 晩年はアパート暮しだった故人には持家があった。 それは、故人が若い頃、男性(息子)が生まれたのを機に新築購入を考え、妻(男性の母親)と相談して建てたもの。 そして、長い間、そこで生活。 その間、男性も成長し、社会人になり、結婚して、子供(孫)も生まれた。 そうして、親子三代、平凡だけど賑やかに暮らした。 転機が訪れたのは、サラリーマンを定年退職した60歳のとき。 それを機に、故人は一人、このアパートへ転居。 その後は、前職のコネでアルバイトをしながら生活。 そして、70歳を過ぎるとアルバイトも辞め、のんびりした年金生活に。 贅沢な暮らしではなかったけど、時々は頼まれ仕事をし、時々は遊びに出かけ、時々は男性宅(実家)に顔をだし、自由気ままにやっていた。 男性をはじめ、嫁や孫との関係も悪くなかったにもかかわらずアパートに転居した故人には、ある想いがあった。 そこは、若かりし頃の故人夫妻が、一緒に暮らし始めたアパート。 当時の建物もボロで、その分、家賃も廉価。 もう50年も前のことだから、大家も代が変わり、建物は建てかえられていたけど、場所は同じところ建っていた。 そして、生前の故人は、「人生最後はあそこへ戻る!」と誰かに誓うように言っていたのだった。 故人が大事にしていた仏壇の中央には、若い女性のモノクロ写真。 穏やかに微笑む女性が写っていた。 背景はどこかの砂浜・・・多分、海辺。 胸元より上しか写っていなかったので想像を越えることはできないけど、服装はノースリーブの、多分、ワンピース。 背景・服装からすると、どうも、一時代前の夏のひとときのようだった。 何よりも、その表情・・・その“笑顔”が印象的だった。 穏やかな微笑であることに間違いはないのだが、ただ、 “目が笑ってない”というか“泣きそうな目をしている”というか・・・ “抑えきれない複雑な想いや葛藤が、笑顔の向こうからにじみ出ている”というか・・・ 得体の知れない何かが感じられ、惹きつけられた私の視線は釘づけに。 そして、何かを推しはかろうとする心に従うように、頭は写真の中へタイムスリップしていった。 「それは私の母です・・・若い頃の写真なんですけど・・・」 アカの他人の私が仏壇の写真を注視する様を怪訝に思ったのだろう、訊かずして男性が口を開いた。 「私が小さいときに亡くなったんです・・・もう50年近く前になりますね・・・」 行年は30代前半、男性が小学校に上がる直前のこと。 死因は胃癌で、気づいたときはあちこちに転移し、手術することもできないほど進行していた。 「“もう長く生きられないから想い出をつくろう”ってことで、三人で海に出かけたんです」 とてつもなく切ない場面なのに、男性は、楽しかった想い出を懐かしむようにゆっくりと話を続けた。 「まだ小さかったですから、母親の記憶はあまりないんですけど、このときのことはよく憶えてるんです・・・」 “これが最後の家族旅行になる”ということが幼心にも感じられ、記憶に強く刻まれたよう。 そのときの家族三人の心情を察すると余りあるものがあり、返す言葉を失った私は、ただただ口を真一文字にして聞いているほかなかった。 そのときの女性は、どういう気持ちだったか・・・ 末期の癌に侵され、「もう長くない」と宣告され、身体はどんどん衰弱し、病の苦しみが増す中で、どんなに、「息子の成長を見守りたい」と思ったことか、どんなに、「夫をささえていきたい」と思ったことか。 そして、どんなに、「家族と別れたくない!」「死にたくない!」と思ったことか。 もっともっと・・・ヨボヨボに老いるまで家族と一緒に人生を歩いていきたかったはず。 若い夫と幼い息子を残して先に逝かなければならないことの悲しみ・苦しみ、悔しさ、そして、その恐怖の大きさははかり知れないものがあった。 女性が、写真に笑顔を残した由縁は・・・ 冷めた見方をすれば“つくり笑顔”。 しかし、父子家庭の主となる故人(夫)を末永く支えるため、幼い男性(息子)に待つ長い人生の糧になるため、必死につくった笑顔。 “笑顔の想い出は人生の宝物”・・・きっと、夫と息子、二人の その後の人生の糧になる“宝物”を残そうと思ったのだろう。 いわば、“決死のつくり笑顔”だったのではないかと思う。 「母は、“子供のためにも、いい人をみつけて再婚するように”って言ってたらしいんですけどね・・・結局、ひとり身のままでしたね・・・」 男性は、母親がいないことで、悔しい思いをしたり不自由な思いをしたりしたこともあっただろう。 両親揃っている友達を羨んだり、寂しくて一人で涙したりしたことも。 しかし、故人は、父子家庭であることをバネにさせるくらい愛情を注ぎ、丁寧に育てたよう。 男性の頭には、楽しかった想い出ばかり過っていたようで、ずっと笑顔を浮かべていた。 「夏になると、父は一人であの海に出かけてたみたいです」 故人と男性は、あれ以降、あの海に一緒に出かけることはなかった。 想い出の海辺に佇み、故人は一人で何を想ったのか・・・ それまでの人生を振り返り、想い出を懐かしみ、深い感慨にふけったのか・・・ 知る由もないけど、多分、亡妻と一緒にいるような気持ちで、微笑みながら、あの時と同じ風に心地よく身をゆだねていたのだろうと思う。 やがてくる死別の悲哀を写した海辺の一枚。 カメラを向けた故人は、どんな気持ちでシャッターをきったのだろうか・・・ カメラを向けられた女性は、どんな気持ちでレンズに顔を向けたのだろうか・・・ ・・・決して、幸せで楽しい気持ちではなかっただろう・・・ しかし、そんな中でも、二人は必死に幸せを見つけようとしたのではないか・・・ そして、その想いを微笑みに映そうとしたのではないか・・・ ・・・そう想うと、死というものの非情さが恨めしく、また、死別というものの条理が一層切なく感じられた。 元来、薄情者の私。 これも一過性の同情、一時的な感傷・・・自分の感性に浸っただけ。 ただ、畳に残ったシミは、笑顔の向こうにあった涙と汗・・・・・先に逝った女性の涙と その後を生きた故人の汗のようにみえて、私は、なおも深いところで生きつづける“いのち”を受けとめさせられ、同時に“この命の使い方”を考えさせられたのだった。

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ゴミ部屋+孤立死

作業前
作業後

                      休み明けに出社してこないことに異変を感じた同僚が、故人の両親へ連絡。 金曜日の夜中に亡くなり、発見は月曜日の夕方。 室内はエアコンがかかっていたこともあり、腐敗を抑えることができていた。

□死後:推定3日                                                □作業場所:1DKアパート2階                                                      □作業内容:汚布団梱包 遺品整理 不要物分別梱包・搬出 簡易消臭消毒                □作業時間:延2日                                            □作業員:延人数3名                                                      □作業料金:148,000円(税別)(諸経費込)                             □費用負担:遺族

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見えない敵

流れるのは厳しいニュースばかりで、世の中の空気は重い。 目に見えるほどの明るい兆しもなく、暗雲はどこまでも垂れこめている。 そこへもってきて、私は、安酒で誤魔化せるほど能天気な性格ではなく、なかなか明るい気持ちになれないでいる。 そんな今月中旬のこと。 私は、仲間4人と、とある民家に向かった。 現場は一般的な木造二階一戸建、築年数は50年くらいか。 空き家になってから、そう時間が経っていなかったにも関わらず、家屋は著しく劣化。 室内もまた、結構な傷みが出ていた。 頼まれた仕事は家財撤去、依頼者は亡くなった住人の遺族。 「遺族」といっても、子や孫ではなく、ちょっと複雑で薄い関係。 家財や家屋はもちろん、故人にも特段の思い入れはないようで、非情にも見えるくらい冷淡。 他人に見せないようにしていても、“欲”というものは、なかなか抑えることができず、どことなく滲み出てしまうもの。 多分、それに突き動かされたのだろう、さっさと家を空にして土地を金に替えたいようだった。 単独でやる特掃にかぎらず、複数名で取りかかる一般現場でも、だいたい、作業難易度の高い部分や危険度の高いところ、特別な汚染や汚物があるようなところは私が担うことになる。 遺体系・腐敗食品系・液物系・害虫害獣系・糞尿系etc・・・ 社内ルールでもなく、作業マニュアルでもなく、私が志願するわけでもなく、暗黙の慣習として。 ず~っとそうだから、私も、抗うことなくそれに従っている。 この現場でいうと、当該部分は物置にあたる。 庭に建つ、今にも倒壊しそうな古ぼけた木造物置。 もう、何十年も放置されている感じで、いかにも不衛生。 皆が各々の作業場所に散るのに合わせて、私は、その物置へ。 建てつけのわるい戸をこじ開けると、ヒンヤリとした湿気と肺に悪そうなカビ臭がお出迎え。 薄暗い中、目を凝らしてみると、何もかもにホコリが厚く堆積し、モノクロに変色。 まるで、時代に取り残されたような景観。 加えて、見えないところに何が潜んでいてもおかしくなさそうな、不気味な雰囲気が漂っていた。 私は、ウジやハエはもちろん、ゴキブリやネズミも平気。 蜘蛛やトカゲもかわいいもの。 蜂やムカデも何とかなる。 ただ、蛇はイカン、蛇だけはダメ。 実物はもちろん、玩具のゴミ蛇も無理。 TVとかで、蛇の写真や映像がでてきても目をそむけるくらい。 子供の頃は平気だったのに、いつの頃からか超苦手に。 そんな具合だから、人の死痕でも悲鳴なんか上げないのに、紛らわしいところに紛らわしいかたちで置いてあるロープやホースに悲鳴を上げてしまうこともある。 ハブやマムシじゃなければ、そんなに怖がることもないのだろうけど、あの形状は生理的に受けつけないのだ。 何年か前、一人でアパート孤独死現場の特掃をやっていたとき、天井から蛇が降りてきたことがあった。 わずかな物音で気づいたのだが、天井からのびてくる長いヤツをみたときの私の狼狽ぶりには、上から見ていた(?)故人も、思わず笑っちゃったかもしれない。 あとは、とある御宅のタンスを動かしたら、その裏からデッカイ蛇がでてきてビックリ仰天!、悲鳴とともに飛び跳ねて逃げたこともあった。 また別の民家で、 “ネズミ避け”のつもりのようで、家のあちこち 庭のあちこちに何十匹ものゴム蛇が置いてあったこともあった。 玩具とはいえ、どこを向いても、どこに行っても蛇だらけ。 しかも、何かの陰に隠すように、見えないところに置いてあるものだから、いつも突然現れる。 その驚いたこと、その恐ろしかったこと、その不気味だったことといったら・・・もう泣きそうになった。 本件の物置にトカゲはいたけど、幸い、蛇はおらず。 近くに蜂も飛んでいたが、こちらがちょっかいを出さなければ問題ないので、特に気にならず。 しかし、そこには、目に見えない厄介なヤツが他にいた。 そう・・・そこにいたのは“ダニ”。 私は、そこに多くのダニが潜んでいるのを、身をもって知ることとなった。 作業を始めると、目が痒くなるくらい大量のホコリが舞った。 それは防ぎようがないので、我慢して作業を進行。 すると、ほどなくして、首元が痒くなってきた。 そして、その痒みは、どんどん強くなり、首元から脇、背中へと拡大。 しかし、別に“痛い!”わけじゃないから耐えられないものではなく、そんなことで作業を止めるわけにはいかない。 私は、ヒドくなるばかりの痒みと戦いながら、作業を続行した。 もっとも重症だったのはクビ周り。 ぐるりと360°赤いブツブツができ、これが痒いこと!痒いこと! しかし、掻くと余計にヒドくなるので、痒くても我慢! 仕事をしている昼間は気が紛れてそんなに気にならなかったけど、夜になると、感じる痒みは倍増! 特に、就寝中が強烈! もう、痒くて!痒くて!まったく我慢することができず。 ボリボリ ボリボリ、手が届くところは軒並み掻きまくってしまった。 手が届かない背中は、愛用の孫の手をつかってまで。 それが二~三日続き、その間はロクに眠ることができなかった。 私は、頭だけじゃなく身体もかなり固い。 自分の手で背中を掻くことができない。 で、“孫の手”を持っている。 昔ながらの木製のヤツではなく、金属製でアンテナのように伸縮する最新式(?)のヤツ。 よくある木製のモノは先端(指先部分)が丸みをおびていて肌への当たりがソフト。 掻き心地は弱くて、痒みがとれるどころか、逆に歯痒い思いをしてしまう。 一方、私が持っている金属製のモノは先端(指先部分)が鋭利で肌への当たりがハード。 それを痒いところに押し当てて、ガリガリ!と痛いくらいに擦りつける。 すると、その強い掻き具合により、バツグン!の爽快感が得られ、これが相当に気持ちいいのである。 ちなみに、私は、耳カキもハード派・・・「スーパーハード派」といってもいいくらい。 中学の頃からそう。 しかし、耳鼻科医は、「耳掃除は綿棒でソフトにするべき」「耳垢は全部とってはいけない」と警告。 しかし、これは、「雑巾だけで特掃をやれ」って言っているようなもの(じゃない?)。 綿棒で撫でるだけなんて、そんな赤ん坊みたいなことやってられない。 固く鋭利な耳カキ棒で、ガリガリ!やらないと満足できない。 私は、それを、一日に一度とかではなく、二~三度、多いときは五~六度もやる。 となると、それなりの備えが必要(大袈裟な言い方だけど)。 で、いつでもどこでも耳カキができるよう、耳カキ棒は身の回りの至るところ置いてある。 自宅にも何本か持ってるし、会社のデスクにも、車にも積んである。 たまにしか使わない、カバンやリュックにも。 掻きたくなったらすぐに掻けないとストレスになるから、いつでもどこでも掻けるようにしてある。 26とか27くらいのときだったか、運転中の耳カキで右耳の鼓膜を破ったことがあって、今でも難聴と耳鳴りが残っているのに、まったく懲りていないのだ。 ダニの話に戻る。 あれから二週間余が経ち、今、症状はほとんど治まっている。 ブツブツはかなり小さくなり、残っている痒みもわずか。 本来なら、蕁麻疹がでてときみたいに、すぐ病院に行けばよかったのかもしれないけど、もともと私は病院嫌い。 その上、コロナにも注意しなければならず、皮膚科とはいえ不要不急で病院に行くと色んなところに迷惑がかかってしまう恐れもあった。 で、結局、病院には行かず、自然治癒に任せて今日に至っている。 特効薬もワクチンもない今、この新型コロナウイルスも自然治癒を待つのが治療法の主流だそう。 根本的には、人がもつ免疫力や治癒力が頼り。 必死に行われている治療を批判するつもりもなければ、懸命に動かされている医療を軽視しているわけでもないけど、その根幹は原始的。 ということは、日常生活において免疫力を下げないよう気をつけ、免疫力を高めるよう努めることが大切だろう。 感染しないよう充分な対策を実行し、また、“自分が保菌者かもしれない”という危機感を持ち、その上で、人に感染させないよう細心の注意をはらうことと同じくらいに。 問題は、身体のこと以外にもある。 そう・・・、生活の問題・・・お金の問題・・・経済の問題。 リーマンショックのときは、我々のような零細末端の珍業種には、ほとんど影響がなかった。 東日本大震災のときは仕事が激減したが、二カ月を過ぎた頃から徐々に復調してきた。 で、今回のコロナ災難は・・・ これは、それよりも、はるかに大きな影響がでる可能性をはらんでいる。 そして、終わりの見えないこの未知数が、不安感・悲愴感を増大させている。 そんな中、コロナ対策支援金として、政府が一人10万円くれるという。 はじめの30万円のときは、自分が対象外になることは容易に想像できたので何の興味も覚えなかったけど、今回の10万円は私ももらえるようなので関心がある。 ただ、その政策・・・いわゆる“金のバラマキ”には賛成できない。 「安直」というか「安易」というか、そういった浅慮感が否めない。 確かに、今の今、現金がなくて困っている人は多いのかもしれない。 「今をしのぐことで精一杯、その先のことなか考えられない」という人もいるかも。 そういう私だって、お金は必要、お金はほしい。 しかし、世帯差・個人差はあれど、これで延びる“生活寿命”は約一ヶ月。 たった一ヶ月延びるだけ、たったの一ヶ月・・・一ヶ月なんてすぐ過ぎる。 一ヶ月経って、支給金を使い果たして、スッカラカンになって、その後、どう生きればいいのか・・・一ヶ月先に待っているのは、今と同じ苦境なのである。 国も、“焼け石に水”であることは分かってながら、“目先の急務”としてやらざるを得ないということか。 他に妙案があるわけでもないから「愚策」とまでは言えないけど、布マスク二枚も同様、政治家の人達は、本来、頭がいいはずなのだから、もうちょっとマシな政策が打てないものかと、首を傾げてしまう。 もちろん(?)、政策に同調できないからといって、私は、受給を辞退するつもりはない。 「受給を辞退しても10万円は国庫に溶けるだけで何の役にも立たない(byどこかの市長)」といった啓けた見識もなければ、金銭欲を押しのけてまで貫けるほどの信念も持っていない。 ただ、「お金がほしい」「お金が必要」というだけのこと。 結局のところ、誰も最後まで助けてくれないし、自己責任・自助努力・・・個々で何とかするしかないのだから。 ・・・と、評論家気取りで私見を述べてはいるものの、ことの是非を判断するのは一個人(私)ではなく社会、成否を見極めるのは一個人(私)ではなく未来、そして、評価を下すのは一個人(私)ではなく歴史。 ただ、この大きな難局において、今は、批判は口(文字)だけにして、国や自治体の方針に従うべきところは従い、協力すべきところは協力すべき。 同時に、痒いところに手が届く孫の手のような策を練りながら、蛇のようにしなやかに 苦難と苦悩の隙間をすり抜けながら、粘り強く生きるしかない。 敵は、新型コロナウイルスだけではない。 そこから派生したツラい出来事・・・怒り、悲しみ、苦しみ、恐怖、不安、絶望感が渦巻く現実も然り。 しかし、この苦境は、これまで我々が目もくれなかったことに目を向けさせ、多くのことを学ばせ、たくさんの知恵を得させてくれるのかもしれない。 人格を練り、品性を磨き、自分を鍛えるチャンスを与えてくれるのかもしれない。 そして今、“ぜいたくウイルス”“わがままウイルス”“傲慢ウイルス”“怠惰ウイルス”“冷淡ウイルス”etc・・・ それぞれ自分が感染している“見えない敵”を私達に気づかせ、その病を治す免疫を与えてくれるのかもしれないのである。

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ヤバい奴

5月も中盤に入ってきているというのに、なかなか暖かさが安定しない。 例年なら、暖かい日はもちろん、暑い日も少なくないはず。 なのに、今年はこんな感じ、いわば“令春”。 何かの摂理が働いてのことか・・・ この寒気が何かに影響しているのかどうか、逆に、何かが影響して寒気がきているのかどうか知る由もないけど、多くの人が曝されているように 肌で感じる気温だけではなく、世の中の空気まで寒々しくなっていることは言うまでもない。 こういう事態になってくると、平穏な日常のありがたみをヒシヒシと感じる。 飽き飽きするほどかわり映えしない毎日、平凡でありきたりの日常、不平不満ばかり吐いていた味気ない日々を・・・ ついこの前のことなのに、そんな日常を懐かしく思ってしまうのは、それほど、このコロナ災難が重大かつ深刻であるということか。 休業や外出自粛で、街の活気も失われている。 “活気”だけでなく、“生気”まで失っている人もいるだろう。 ただ、この期に及んでも、一部には“三密回避”“外出自粛”を無視し、人の迷惑も顧みない輩もいるよう。 “自由”というものの成り立ちや根源を知らず、自制できないことを“自由な生き方”と勘違いし、「経済を回すため」等と自制心の欠落を他人への偽善にすり替え、無責任なクセに困ったことが起こると他人からの支援を当然のように貪るヤバい奴だ。 「越境飲み!?」「越境パチンコ!?」 もう、呆れるし、不愉快だし・・・強い憤りを覚える。 「外出自粛要請」がでていても、在宅勤務が不可能な私は、毎日、出勤している。 現場仕事は少なくなってきているけど、それでも、まだやるべき仕事があるから。 ただ、仕事以外での外出は控えている。 スーパーに食料を買いに行くくらいにして、余計な動きはしていない。 しかも、できるだけ短時間で、レジ精算時をはじめ、店内を歩くときも他の客との距離に気をつけている。 せっかく?時間があるのだから、スーパー銭湯にでも行ってリフレッシュしたいところだけど、そこも営業休止中(営業していても、今は行かないけど)。 しばらくぶりの軽登山も考えたが、人出が多いと登山道は混む。 屋外とはいえ、人と濃厚接触してしまうこともあり得る。 しかも、マスクをしたたままでは呼吸がツラい。 で、結局、断念。 あとは、ソロキャンプか、一通りの道具は持ってるし。 しかし、キャンプ場も混み合ったら意味がない。 シャワー室・トイレ・炊事場などは感染リスクが高いから、やはりダメ。 その代わりに、今年は花見もできなかったし、もう少し暖かくなるのを待ってBBQでもやろうかとも思うけど、人を集めてしまうのはマズいので、これも工夫が必要。 あと、“ソロBBQ”でも気分転換できるはずだけど、趣味を孤高に楽しんでいるように見えるソロキャンプは、ある意味でカッコいいのに比べ、“ソロBBQ”ってのは、「そこまでして炭火で飯が食いたいのか?」っていう風に見られて、なんだか、ネクラっぽい孤独感がでて“ヤバい奴”になってしまいかねない。 結局、できることが思いつかず、人を避けながらウォーキングだけやって その日その日を暮れさせているのである。 休みがとりやすくなったのはありがたいけど、遊び慣れしていない私でも、何のレジャーも楽しめないのは寂しく思う。 また、その理由が仕事減では、身体は休めても気持ちは休まらない。 現場作業が少なくて身体は楽になったのかもしれないけど、逆に精神はツラくなっている。 事態が深刻化していく一方であるうえ いまだウイルスの収束時期が読めていないわけで、先に明るい展望が持てないから余計に。 筋金入りのネガティブ男(私)は、この先のことを考えると 悪い予感しかしない。 そして、鬱持ちであるが故に、その精神は それに過敏に反応しているのである。 何とか今はまだ、少しは余裕があるけど、このまま時が経てば経つほど、私も徐々に追い詰められていくだろう。 ホント、困った・・・ホント、弱った・・・。 「転落死なんですけど・・・」 付き合いのある不動産会社から特掃の依頼が入った。 現場は、繁華街の裏路地にある古い木造アパート。 そこは、車が通れるほどの道幅はないけど、自転車や歩行者の往来は多いエリア。 建物は二階建で、1DKが一階に二戸、二階に二戸。 二階の一室は空室で、もう一室が故人の部屋。 二階へつながる階段は内階段になっており、二階二戸の玄関は一階、路地に面していた。 「うぁ!・・・ヤバ・・・」 目を見張ったのは、その玄関。 玄関ドア外側の下部には、いくつも赤黒い筋。 それは、醤油やソースでもなく、チョコレートでもなし。 そう・・・それは、どこからどう見ても血、しかも大量。 私は、不動産会社から“階段下の玄関で倒れていた”ということは聞いていたが、“外に血が流れ出ている”ということまでは聞いていなかったので、ちょっと驚いた。 「さてと・・・開けてみるか・・・」 私は、何枚かのタオルを細長く折り、ドアの下に重ねて置いた。 そして、不動産会社から借りてきた鍵を挿入。 周囲に人影がないことを確認してから、ゆっくりドアを引いた。 素人ではない私は、ドアを開ける際、ダムが決壊したときのように土間の血が再び流れ出てくることにも用心していた。 しかし、幸い、血だまりの大部分は凝固し、新たに流れ出てくることはなかった。 「うぁ~・・・こりゃ迫力あるな・・・」 眼下には、赤黒い粘液で覆われた玄関土間が出現。 それは、半乾きの状態で滞留した大量の血。 乾いた部分は冷えたブラックチョコレートのように固まり、乾ききっていない部分は煮詰めた赤ワインのように生々しく光っていた。 と同時に、特有の血生臭さがプ~ンと私の鼻をとおり過ぎて、ズ~ンと精神を圧してきた。 「本当に転落死か?」 もっとも大きい血痕は玄関土間にあったけど、そこだけにとどまらず階段から二階故人宅の台所床にも付着。 もともと身体の具合が悪かったのだろう、 “転落”だけではない死因が他にあったことは素人目にも明白。 室内で吐血または下血した後、それで慌てたか、階段を転げ落ちて外傷を負ったものと思われた。 ま、どんなに推理を働かせてところで、私がやらなければならない仕事は変わらない。 自分の中で一応の決着をみた私は、作業のシミュレーションに頭を切り替えた。 「しかし、よりによって、この場所とは・・・」 そこは人通りが多い路地に面した位置。 階段は急で狭く、血が溜まった玄関の土間も狭い。 しかも、くたびれた裸電球はロウソクの灯程度の光しか放たない。 室内からの特掃は極めてやりにくい・・・ドアを開けた状態で外からやらないと無理な構造。 しかし、そうすると、通行人から血痕も作業も丸見え、“なかなかの見世物”になりかねない状況だった。 「別に、悪いことするわけじゃないんだから・・・」 ない頭で知恵を絞ってはみたものの、私は、その作業法以外の妙案を思いつかず。 開き直ってやるしかなく、結局、オープンで作業することに決定。 私は、自己防衛のため“一人の世界”に引きこもり、誰かに近づかれないよう“多忙につき声かけ無用”の雰囲気を醸し出して心理的なバリアを張ることに。 極力、自分の視界を狭くするため、うつむき加減でしゃがみ込み、ほとんど路地側に背中を向けたまま作業をすすめた。 「警察とか呼ばれたらかなわんな・・・」 一人の世界にバリアを張っていても、私の横目視界には幾人もの通行人が入り、耳には近づいては遠ざかる足音が聞こえ、背中にはムズ痒くなるような好奇の視線を感じた。 ただ、ヒマな野次馬はほとんどおらず、大方の人は、軽く目をやるだけで通り過ぎていったと思う。 好奇心旺盛な人の中には視線を止めた人もいただろうけど、そんな気配は感じなかったから、多分、歩を止めて覗き込んだ人はいなかったと思う。 ただ、多くの人は、“血だらけの玄関”と“両手 血まみれの男”を見て、“ギョッ!”としたのではないかと思う。 これで鋭利な道具でも使っていたら、完全に警察を呼ばれていただろう。 事実、小声ながらも、何度か驚嘆の声が上がったのを私の耳は聞き逃さなかった。 「ヤバい奴に見えてんだろうな・・・」 私は、背後を往来する人から見た自分の姿を想像。 その怪しさは、例えようがないくらいの奇妙でインパクトのあるもの。 我ながら、その様がなんともおかしくて、故人には失礼ながら、時々 クスクスと笑いが込みあげてきた。 黙っていても“ヤバい奴”なのに、そいつが一人で笑っているとなると“ヤバい”と通りこして“恐ろしい”。 “そんな風に見られているかも”と思ったら、私は、余計に自分がおかしくて、“ヤバい現場で笑っているヤバい奴”となってしまっていた。 時々、私は、ヤバい奴に変身する。 アブナイ系ではなく、ヘンテコ系の。 特掃現場では、特にそうなる。 ヤバい所が元来の仕事場で、ヤバい状況を片づけるのが仕事なのだから仕方がない。 客観的に見ると、その様は、かなりグロテスクかつ滑稽だと思う。 人の目には、とてもカッコよく見えるものではないけど、それでも、自分では「カッコいい」と思ってしまうときもある。 その由縁は、“使命感・責任感”“依頼者の付託に応えるため”などといった上等のものではなく、“故人の尊厳を守る”“仕事のプライド”などと言った高等のものでもない。 “並の奴にはできんだろ”といった塵芥のような優越感だったり、“俺にしかできんだろ”といったゴミ屑のような職人技だったり、自分以外の他人には興味も価値もないことだったりする。 更に、その由縁がある。 それは、その内にいる“ヤバい奴”。 私の心底には、過激な思考、邪悪な想像、卑猥な妄想(ちなみに、性癖はノーマル)をする奴がずっと居座っている。 例えば・・・・・んー・・・問題あるから書くのはやめておこう。 もちろん、そいつが現実の行動にまで姿を現してくることはない(?)けど(たまにはあるかも、・・・あるな・・・)、人に知れると、人は私から離れていくだろう。 ただでさえ、交友関係が狭い私の場合は、いよいよ一人ぼっちになるか。 ま、この時期なら、人との距離は空いた方がいいし、一人ぼっちでいるくらいの方が安全だし、世の中のためにもなる。 今は、これからくるであろう“寒夏”に耐えきれるかどうか悩むことはさておいて(私は悩んでしまうけど)、また、他人事として無責任に遊ぶことはやめて、我々がやれること・やるべきことを真剣に考え、真摯に取り組むべきとき。 今は、今日の自分のために生きるのではなく、明日の自分のために生きるべきとき。 それが、誰かのためになり、世の中のためにもなる。 常々、“今を大切に”、“今を楽しむ”生き方に憧れ、実践したいと思っている私だけど、それは、今を大切にすることに矛盾することなく、今を楽しむことに通じる部分もある。 我々は、獣や草と同じではなく、本能だけじゃない動力を持たせてもらっている「人間」・・・・・幸せに生きるチャンスをもらっている「人間」なのだから。 とにもかくにも、この“新型コロナウイルス”ってヤバい奴、早いとこ くたばってほしいものである。

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